令和6年能登半島地震

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

当日

2023年後半あたりから人出がかなり戻ってきたことを感じていたので、毎年恒例となっている尾山神社への初詣は三が日を過ぎてからにしようと考えており、しかし元日はとても天気が良かったから景気付けたい気持ちはあったので、海を見に行くことにした。

車でのと里山海道を走って道の駅高松に着いたのがちょうど16時過ぎ、降りたら町内放送が流れていたものの風が強くて聞き取れなかった。

おおかた新年の挨拶とかだろうと思い取り合わず、風が強いので上着を着て海に出ようとしたところでスマフォからアラートが鳴り、そのすぐ後か同時くらいにゴンという音がして足元が横に揺れはじめた。

石川に来てから地震は去年の連休に大きなのを体験していたし、まあ土地柄そういうこともあるよなと思いつつYahoo! 天気を開いたら石川に大津波警報が出ていた。去年は出ていない。ここは日本海まで数m、海抜も数m.

ああまずいなと思い、車に戻る。この時点で震源が輪島のあたりで、最大震度5強以上という情報が入っていた。

高台に逃げなければいけないけど、道の駅がある場所から高台を目指すには海を背に半島の中心部に向かうしかないが、多くの人 (車) が向かってトラフィックが増えているだろうし、高い建物に心当たりもなく今すぐにGoogle Mapsで見つけられる気もしなかった。 また山間部に向かうことになり、崖崩れや雪崩も気になる。

考えた結果、のと里山海道を折り返して金沢市街に帰るのが最も安全だろうと考えた。防潮林が少しは機能してくれるのではないかと思うし、速度が出せるし渋滞も少ないだろうと考えて今浜ICで折り返した。

今浜ICの直前で再び大きい揺れがきたのに伴いハザードを炊いて徐行することもあった。

金沢市街に戻ってくることはでき、普段家に帰る時に通る道路に異状は見られず渋滞もしていなかった。金沢東ICのあたりでかなりひどい渋滞に巻き込まれたくらい。

家に着いて確認した異状らしい異状といえば、トイレがガポガポ言っていたことと、棚から少し物が落ちていたくらいで水・電気・ガスは無事で大事はなかった。

トイレはダメ元でレバーを引いて水を流したら直ったし、棚は滑りやすい天板だったからまあそういうこともあるかなというかんじ。物が落ちて壊れたりはしていなかった。

寝室のテレビやギターが倒れていることを覚悟していたけどどちらも無事だった。特別な対策をしていたわけではないので単に幸運だったのだろう。

片付けた後、防災バッグの中身を点検・補充した。夕食がまだだったけど当然外食などする気にもなれないしどうせどこもやっていないだろうと思い、補充がてら買ってきたカップ麺を食べた。

家族や友人に無事を伝えつつ、当然のようにSNSは地震のことで持ち切りで、しかし被災したとはいえライフラインは無事で資源的には変わりのない生活ができる見込みがある状況からするといわゆる二次被災をしている気持ちになった。

VTuberもほとんど配信を中止・延期していたので、ザッピングしながら配信していたコトカの餅(?)を作る配信を見て、別の意味で肝を冷やした。

今後、状況が変わって避難所へ移動することを想定してスマフォにまだ見ていなかったアーカイブをダウンロードするなどし、シャワーを浴びて早めに寝ることにした。風呂に浸かる気にはならなかった。

震度3くらいの余震が寝るまでに10回は起きていたように思う。幻覚なのか本当に揺れているのかよくわからなくなっていた。大津波警報は寝るまで解除されることはなかった。

その後

後日、ニュースなどで詳報を見るに輪島のあたりはかなり想像以上に悪い状況だということがわかってきた。

また金沢市街でも断水や道路陥没などの被害が起きていることを知った。昨日の帰り道にほとんど異状を感じなかったのは、かなりの偶然だったのだろう。

近いところだと金沢城公園の外壁が少し崩れたみたいで土嚢で歩道が通行止めになっているところがあった。

街に出ると他県ナンバーの車、それも災害支援車のようなデカールを貼っている車を見かけるようになった。

能登のほうはたまにドライブに行くことがあって、ふと気になってよく行っていたカフェのサイトを開いたら、そもそも去年訪れた直後に臨時休業した後に10月に閉店していた。

なんともいえない。閉店したということは、少なくとも当時は店を開けているわけもなく、店員としてあるいは客として被災した人はいなかったということになる。それは悪いことではなかっただろう。

もちろん元店員だった人が能登や近郊に住んだり勤務していて被災していた可能性はゼロではない。それでも自分が鮮明に想像できた被災の光景はなかった、ということには安心する。でもそれでいいのかという気持ちが同時に立ち上がってくる。

不幸・不運は比べるべくものではないし、閉店に至った経緯が震災と比べてどうという話はまったくの無為である。だから考えても仕方がないし、経緯はどうあれ、けっきょくよく行っていたあのカフェにまた行くことはないのだ、と考えるとただ虚しく寂しくなるばかりだった。

能登に知り合いはいない。だから何度か通ったことのある道や風景を思い出しては、あれらは無事だろうか・また会える時はいつになるだろうか、と考える。人や生命について、真に心の底から慮る対象はいない、だからそうしようとしない。

自分に人の心はないのだろうか。慈しむ心はないのだろうか。自分はそうは思わないけど、でも「人の無事が気になってそわそわする状況になくてよかった」と思う自分は外道と言われても、まあ違いはないだろうなと思う。