昔の自分がどうやって冬を越していたかわからない

実家に住んでいた時は、ユニクロのウルトラライトダウンを着ていたような気がする。これは大阪に引っ越す時に置いていったので本州に来た時点では防寒着がなかった。フリースも持っていなかった。

日記 - 『言葉を吐く』

自分でユニクロのウルトラライトダウンを買ったのが確か京都に住んでいた時で、河原町のユニクロで買ったような気がする。

10年以上前のユニクロ服もタグで製造年を判別!エアリズム・ヒートテックの見方まとめ — りすと私と暮らし。

タグからわかるらしいので見てみると04-03だったので2010年冬か2020年冬ということになる。

2020年より前に持っていた気がするけど、2010年くらいに買った覚えもないのでかなり謎。そこそこ人気な商品なので、2010年頃に製造された製品が数年後に出回って手にしたということも考えにくいし。

少なくとも2017年には持っていなかった。

d.aereal.org

そして書いてて思い出してきたけど、ヒートテックを着てそこから上はどうにでもなれというスタイルだった。

そこからだいぶ下って2018年にHaglofsの冬用のコートというかパーカを買っている。

冬用にHaglofsのコートを買った - 『言葉を吐く』

2023年にノースフェイスの腕にしか中綿の入っていないジャケットを買う。

2023年買って良かったもの - 『言葉を吐く』

2024年にアークテリクスのアトムヘビーウェイトを買って答えを得る。

2024年買って良かったもの - 『言葉を吐く』

今になって考えるとあまりにもわんぱくすぎる。若かったから頑丈だったということもなくはないけど、日記とか読み返すと普通に冬に体調を崩しがちだった。ここ数年のほうがよっぽど元気なので、それなりに寒さにやられていたようだった。


2018年ごろにHaglofsのジャケットを買いに京都のフルマークスに出向いて、その時には既にアシックスが輸入元に変わったあとでもう扱っていないと言われたことをふと思い出す。

Haglofs Ample III Jacket - 『言葉を吐く』

確かその頃は移転前で、市役所の近くだったような気がする。

その時にパンツを買ったことは覚えていて、どのメーカーだったか思い出せないんだけどなんとなくぼんやりHoudiniだったような気がする。語感とか字面に覚えがある。

当時のことは最近になってふと思い出す程度で、Houdiniのことも忘れていたけれど、今年になってHoudiniのシャツを買うかたちで(再び)出会って巡りを感じる。

やるべきではない理由は常に存在する

やるべきではない理由は常に存在する

仕事とかプライベートとか特定のシチュエーションに限らず、なにかに取り組む時の話。

やりたくない」という感情は常に湧いてくるので、常に存在する。なので「『やるべきではない理由』がゼロの時だけ何かをやる」という行動指針は機能しない、という気持ちで暮らしている。

Will/Can/Mustは、最後にMustだけが残るという考え方と同じ。

で、大抵のことはやると良い理由が存在するから、やるかやらないか考えるのはあまり意味がない。どうやるかを考えるほうがよい。

「良いデフォルト値」を持つというのはより一般化された素敵な抽象化だと思う。

refs. あとはAIに任せて人間は自由に生きる - Speaker Deck

このスライドはhitodeさんの日記で知った: プロセスや仕組み以外に大事なことは何? - hitode909の日記

ちなみにこの「やるべきではない理由は常に存在する」という考え方は「理屈と膏薬は何処にでもくっつく」ということわざが印象的で、自己決定とか仕事とかも似たところがあるよなあという考えを無理矢理よせて言葉にしてみたもの。

三方良し

他にも、「プロセスや仕組みだけでなく、〇〇が大事だよね」という主張はいろいろできると思うので、思いついたら教えてください。

せっかく読んだので書く。

「三方よし」か? という問いを立ててアイデアを磨く取り組みは、いろんな振り返りやKPTのシチュエーションで通用するので気に入っている。

KPTとかをやって改善案を考える根源的な理由はよりハッピーになりたいからといえる。

手間を減らしてもっと別のことに時間を割きたい・もっとユーザに求められているものを届けてユーザにハッピーになってほしい・ユーザがハッピーになった結果、売上が増えて給料も爆増してほしい、などなど。

チェックリストの項目を増やすと、同様の事故が再発する危険が減るかもしれないがほとんどの善良で良識のある人にとってはただただ考えることが増えるだけで、三方のうちの一方はよくない。

といった風に改善に量の概念を持ち込むと「チェックリストの項目を増やして満足する」みたいなよくある落とし穴を避けられるし、関係者の多い仕事という文脈を離れて人生にあてはめることもできる。

たとえば人生はだいたいお金をかけると良いかんじの体験を得られがちだけど、そうすると何にでも金をかけることになって破綻するのでそれを牽制する他の要素を見出す訓練にもなる。

ちなみに「要はバランス」という考え方とどう違うかというと、基本的に関係する要素すべてをハッピーにするということに意識を向ける点が違う。

バランスをとること自体は全員が不幸になることでも達成されるけど「三方よし」はそうではないという違いがある。

Pixel 8のディスプレイを修理した (してもらった)

「Pixel 8」のディスプレイにまっすぐ縦線が入ったので修理に出します - ケータイ Watch

いつのまにかGoogleから延長修理プログラムが発表されていたらしい。

この記事を見て知って、その時は「ふーん」と思って終わっていたのだけれど、次の日に症状が出た。Pixel 8も記事を読んで思い出したのかもしれない。

この症状の修理に限って保証期間を過ぎていても無料で対応されるらしく、調べるとGoogleに送るか認定修理サービスプロバイダで受けるか選べるらしい。

Googleに送る場合は初期化が必須で、それはすなわちSuicaの移行手続が必要ということで、OSのデータ移行はともかくSuicaはかなり手間だしミスるとかなりめんどうなので気が引ける。

認定修理サービスプロバイダはiCrackedが担当しており、石川と富山に店舗があるのでこちらに持ち込むことにした。 が、石川の店舗はまったく予約がとれなかったので富山の店舗で予約をした。

iCrackedの予約サービスの体験は本当にひどくて、1日ずつ枠があるかリクエストを投げて1000msecくらいしてから「枠がない」と返ってくるので次の日を開く……という繰り返し。 最大で30日先までの日程でしか予約できないので、30回繰り返してダメだったらもう一度IMEIなどを入力してから別の店舗を選んで同じ手順を繰り返す羽目になる。

修理の見積もりは2時間と出ていてどう時間を潰そうか悩んでいたけれど、実際は40分くらいで終わった。

修理をする前に他の不具合がないか調べていて、専用のアプリかWebページかを開いてジャイロやディスプレイのピクセル欠けなどをひとつひとつチェックし大丈夫だったら人間がOK/NGを記録するという仕組みらしくて興味深い。

修理自体は問題なく終わって、症状も無事に収まった。ちょっとGalaxy Z Fold 7とか気になっていたけれどせっかく修理したし、そんなにスマフォに金をかけてもな……という気持ちではあったので、もうちょっと使い続けられそう。

35

前: 32歳になった - 『言葉を吐く』

2年分書いていなかったらしい。

ソフトウェアエンジニア35歳定年説というよくわからない話が一昔前に流行り、もはやミームと化してディティールを誰も覚えていないような与太があり、その年になった。

定年退職というかFIREできるならしたいけれど、そうも言ってられないねってかんじ。

最近はAIコーディングエージェントだなんだという話が盛り上がっていて、なんやかんや転換点に立てて楽しいかんじ。


人生のほうは、なんというか口を開けて立っているだけで刺激とか変化が勝手にやってくるようなかんじではなくなったというか、一回りした印象。このまま惰性で座り続けていたら急速に老いていきそうだという予感がある。

だからというわけでもないけれど、登山やカートに取り組みはじめた。

ふと物思いを始めた時に「まったく新しい経験ができているのか」「何もかも知っていることじゃないのか」という袋小路に入りかけるけれど、そもそも既存の知識や経験でできた枠の中に収まる範囲で物事を見るから目新しさがないだけなのだと考えるようになった。

登山 その後

登山を始めた - 『言葉を吐く』

5月までに近場を登ってから今はオフシーズンとしている。

まず低山で慣れようと考えていて、すると当然ながら標高が低く平地とあまり気温が変わらないので6月あたりから外で運動するのに耐え難い環境になってしまう。

9月あたりからまた登ろうかなというかんじ。

今は体力作りということで、毎朝Fix Boxingをやっている。

  1. 起きる
  2. 歯を磨く
  3. 顔を洗う
  4. 朝食を摂る
  5. ハイポトニックウォーターを作る
  6. Fix Boxingする
  7. シャワーを浴びる

……という流れが板についてきた。

寝る前に風呂に入って朝すぐシャワーを浴びるのはなんだかもったいない気もするけど、ちゃんとそろばんを弾けば6~8時間くらい寝ていて、四半日が過ぎているわけだから汗もかくし別に極端にインターバルが短いわけでもないのよな。


登山というか自然に出る上で野生生物のことは切っても切り離せない、というのは頭ではわかっているが衝撃的なできごとや身近な場所で起きたニュースを見ると、そんな危険を冒してまで自分は何がしたいんだろう、みたいなことを考えてしまう。

別に登山に限らず、大抵のことには何かしらの危険が伴うけど、特に野生生物は外から制御し難いし、人間にとって危険であるという観点だけで状況を支配することの是非という観点もあって、自分にとってはそう単純に考えきれないところがある。

そう考えると、生命体という自律した思考を持つ存在より、自然現象のほうが相対しやすいというか、事故が起きた時に自分の中で割り切れそうな気がする。

なのでせっかく石川にいるわけだし冬にもっと登るのが良さそう。


登山が続きそうなら靴を買おうかなという気になっている。