最近

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

ウマ娘

サクラバクシンオーで初めて育成完了した。

URAファイナルズで出遅れてしまい3位に終わってしまったものの、目覚ましでやり直したら危なげなく勝てた。当初はサイレンススズカと競っていたけど、終盤で固有スキルが発動して抜き出した時はめっちゃ興奮した。

『うまぴょい伝説』を歌っているのもかなり感慨深くて、確かにこれはハマるなあ。

動きが本当に細かくて飽きない。

教習所生活

karimen.hatenablog.com

仮免をゲットした。第二段階の教習に入っている。路上に出る時はまだ緊張するけれども、着実にマイルストーンに近付いている実感も増しているので楽しい。

感じている雑多なこと:

  • 車線変更や右左折時の3点確認 (リアミラー、ドアミラー、目視), 重要性はわかるけれど基本的に走行しながら行うもので、本質的に脇見運転と変わらなくて怖い
  • 速度維持が難しい; アクセルペダルはエンジンの出力を操作するものであって、速度を直接操作するものではないと捉え直してからコツは掴めてきたけど足は疲れる
  • それなりの速度で歩道から出ようとする車を発見するとかなり怖い (相手が安全に行動するという前提は置けない)

知識

今に始まったことではないけれど、インターネットはインスタントに耳年増を生産しやすい構造をもたらしているし、自分もだいぶ耳年増な面を持っているなと感じる。

最近だと車に関してだとか。

身についていない知識をあたかも自分が修得しているつもりで暮らすのは危ういと思う一方、何をもって修得できていると判断すれば良いのか? という疑問もある。

修得しているかできていないかという二元論ではなく、自分がどの程度理解しているか・理解が至っていない範囲は他にどれだけあるか、などと照らし合わせて細やかな現状認識を持つのが健全だろうと思う。

なるほどこれはかなり大変で手間もかかって目を逸らしたくなる。

ニュートラルさ

たとえば「二元論」を指して「デジタルさ」という修辞が用いられる場面がある。大抵はネガティブな文脈で扱われることが多い。

これも危うい感じがする。話の本筋とは別のものごとへ不用意な印象を与えるというのは、修辞の濫用だと思う。

昔に知り合った人がよく言っていた「過不足ない表現を目指す」というのがこれらに対する態度を端的に言い表していて好きだし自分もとるべき態度としている。

怒り

耳を疑うようなできごとを目にすることが特に絶えない。自分にとってもそうだし友人・知人にとってもそう。

怒りや呆れ、絶望を感じるできごとも少なくない。

今の自分は「怒りなど感情を動かすべきではなく、理性的に批判するのが自分にとって一番良い」と考えている。けれど何を批判するかっていう取捨選択をする際にどうしても自分の感情を濾過する必要があり、これに向き合わないといけないのはたいへんに気力がいる。

だから最近はかなり多くのことを見なかったことにしている。この姿勢はゆくゆくは自分や多くの人の首を絞める可能性があると感じているが、とかく情報量が多すぎて耐えきれそうにない。

『抱えきれないほど小さな自分の中』とは言ったものだけれど、はたして器に余裕が生まれることはあるんだろうか。

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スマブラ

よくフレ戦してもらっている方から「だいぶ崖が上がりにくくなった」と言ってもらえて成長の兆しが見えて嬉しい。

配信されてからずっとホムヒカ使っているしもうメインは変わった。

最近考えていること

  • ヒカリを出している時のニュートラルの差し合いが弱い (安い) ので要改善; フォックスとか速くて斜め上から差し込めるファイターに対する答えを持てていない
  • 上手い人相手だとホムラでもバ難になりがち; 撃墜力はあるけれどロイとかみたいに機動力や発生に恵まれているわけじゃないので、崖や復帰を狩りきる意識が重要で詰め将棋の要素がある、そのスキルが足りていない
  • 理論上、ガン不利が付く相性はほとんどないはずだけど勝ち切れていないファイターや人間性能が追い付いていないのでめげずにがんばろう; CF, インクリングあたりは徹底すれば五分以上つくはず
  • 対カズヤは地獄門でとかく壊されがちなのでベレスを当てる