京見、持越、雲ヶ畑

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

タイムトライアルついでに40kmほど走った。

最初はけっこうなペースで走れていたけれども、途中でスタミナが尽きてしんどくなってきた。京見インターバルは記録更新したけど TT としてはベストタイムを塗り替えられなかった。

実際、Strava でベストタイムを出したときと速度の推移を比較してみると、半分を越えたところで速度がどんどん下がっていった。ヒルクライムは尻上がりなペースじゃないといけない、と頭にはありつつも、けっこう走ってきたしこれくらいいけるやろ、と思って調子に乗ってペースを上げたらこの様であった。

持越峠は、同僚から「蜘蛛がたらーんといるかんじであまりよくはない」と聞いていたのでどうなるかと思ったけど、秋も深まり冬も目前というところだったので普通の峠という風情だった。雨上がりで上りも下りも落葉が積もっていて怖かった。

杉坂を下っていつも左に曲がる道を右に曲がってしばらく真弓方面へ進んでいるときは、峠に入っているのかどうなのかよくわからないダラダラした上りでちょろいもんだな、なんて思っていたけれども、しっかりとその先に「この先持越林道」と書いた看板が立っていた。

峠の勾配は、それまでのだらだらとした上りよりはきついけれども、京見と比べると大したことはなかった。花背のような九十九折が続いていて、これを雲ヶ畑側から下ったら怖そう。

勾配はさほどきつくなかったものの、どれくらいの距離があるのかよくわからなかったのでペース配分はかなり慎重になった。とはいえ京見で反省したのでペースキープには気をつかった。

走りはじめてから急に熊が出たらどうしようと思いはじめて、口笛を吹いたけど息が上がったのでやめた。気になるなら鈴など買うほうがよさそうだった。

雲ヶ畑を走って、体が冷えたので遠回りだけど市原バイパスを走って帰った。もう温存する必要もないので力任せに登った。しかし、そんなにタイムは縮んでいなかったので、体力がそんなに残っていなかったのだろうか。それとも単に力任せに漕ぐようなペダリングでは意味がないということなんだろうか。


坂を効率よく速く上る、という走り方は低コストで始められるわりにかなり楽しいことがわかってきた。

何度か Strava で TT の記録をとってみて、ランダムな外部要因というのはあまりなさそうで、自転車とそれに乗る自分以外に大きく作用する要素はなく、言い訳の余地がない。裏を返せば、制御不能な要因で一喜一憂することなく、低コストに自分の実力の推移をかなり正確に計ることができる。

実際、記録を更新できるとかなり嬉しい。見てるんだか見てないんだか、聞いているんだか聞いていないんだか、他人のわかったような言葉や振る舞いに振り回されることなく、屈託のない喜びを感じられる。