この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

なにをしても気分が晴れない。やがて来る朝、それの到来の前に訪れる夜、すべてが憂鬱で眠れない。明日が来てもなにも変わらない。こんなことばかり書いていたってなにも変わらないのはわかっているけど、それでも日記を書くことをやめたら、自分を省みることを忘れてしまったら、たぶん決定的になにかがおかしくなって、なにもかも失って、苦しいことすら忘れて、なにも考えられなくなるだろう。それはいやで、どうにか食い止めたいんだ。少しずつでいいから変わっていかなくちゃいけない。楽しくない時間は減らしたい。楽しくすごしたい。穏やかに過ごしたい。どうかどうか。誰に何を言えばいいのだ。誰が。何を。何に。誰を。まったくわからない。なにをしているのだ。いまとにかくなにもしたくない。コードを書きたくない。コードを書けばその瞬間に未来の誰かが苦しむ。いま書いている自分が苦しいのだからこれ以上よくなることなんてない。もうおしまいだ。おしまいはいやだ。おしまいではない。よくしたいんだ。よい方向に変わりたいんだ。わかる? よい方向。楽しく穏やかにおもしろく。変わりたい。理想とか夢をもってソフトウェアエンジニアになったわけではない。ただ自分がやらなければいけないこと、やらなければ変わらないことがあると感じたから、それらが達成されるために自分が手を動かそうと思ったのだ。だから、理想と違うとかそういうことを言うつもりは断じてない。断じてないけど、これは自分がやりたかったことではない。いま自分はよくないことをしているかもしれない。よくないことを言っているかもしれない。でも、自分がやりたくないと感じていることは事実で、そして自分はその気持ちがやがて薄れて消えてしまいそうであるという危機感を抱いている。このままではいずれ自分は頭がおかしくなってなにも感じなくなるだろう。変わってしまうだろう。そうなってしまったとしても、そこから回復するために、どうか自分がどんなことに苦しんでいるか、ということ、自分がなにをしたいのか、ということをきちんと記しておかないといけない。ここに記録することはよくないことかもしれない。でも、自分がこうやって苦しむことより悪いことなんてない。変わらなければいけない。変えなければいけない。変わりたい変わりたい。もう眠る前に泣くのはやめたい。泣いたってなにも変わらないのだ。気分も晴れないのだ。ちゃんと変わるのだ、という希望をもって向かって、変えたい、変わりたい、もう泣くのはやめたい。前のように、いつでも自分の手がけているもののことを考えて、大切にして、ソフトウェアの面でも、他のいろんな面でも、よりよくなることを考えて、実際によりよくしていきたい。文章やソフトウェア、音楽、絵、なんでもいい、なんでも、なにかしらを残そうとする人のために、そんな人たちが、そんな素敵な人たちが報われなければいけない、報われてほしい、そんな、そんなおもしろくて素敵なことをしているだけで評価されて、大切にされて、穏やかな気持ちになれる世の中じゃないといけない、いけないんだ。わかる? そう思わない? そういった人たちのためになにかしたいし、なんでもしたいし、そうすることが自分にとって一番の幸せだ。そうありたい。あなたの書いているその日記を読んで、写真を見て、あるいは絵を見て、ソフトウェアを読んで、感動している人がいることを、想像できるだろうか? 想像できないかもしれない。それは、自分の、私の、僕の、おれのやらなければいけないことのひとつでもあり、もっと、誰かの些細な日常の行為が誰かに深い響きを残すかもしれない、そういったことに対する想像を、もっと抱いてほしい。あなたの日常がもう少しだけ穏やかなものであるように、と願う人は、あなたが想像するよりも多いかもしれない、ということを知ってもらえたら、と願わずにはいられない。当たり前のことが当たり前に存在することが大切なのだ。当たり前のことが当たり前であることの尊さをもっと感じてほしい。ソフトウェアも、便利で快適なものは当たり前になっていくだろう。本当に素晴らしいソフトウェアというものはそれがいかに素晴らしいかということについてほとんど無自覚であってしまうようなものだろうと思っている。自然に存在すること。特別ななにかを必要としないこと。