User Interface

UI について考えるとき、「慣れ」というものは欠かすことができない要素で、だいたいの UI に対する変更はこの「慣れ」というユーザの経験値を損ねてしまうから、それを上回る価値を提供できるものでないとだめだと思う。

一方で、慣れ親しんだものを損われることに対する人間の反応は過剰であると思う。それが実際に生み出す認知上の負荷、コストよりもだいたい多く計算されるという印象がある。だから、ドラスティックな UI の変更に対しては人間はヒステリックに反応しがちである。

ひいきというわけではないが UI に対してそこそこまともな見識のある人間は「慣れ」を損うことの重さを知って、なお、より多くの価値が生み出せると思って、UI に対して変更を施そうとする。そう信じている。

ところで、自分が UI の変化を目にしたときにいつも脳内で仮想的なプレゼンテーションを行ってみることにしている。

このアプリケーションの価値はこうであると定義している、主な対象はこういった人たちで、主たる目的はこれである、これを行うにあたって現在こういった課題があり、この変更では、このようにして解決できる。

これらを穴埋めしようとしてみる。

たとえばあるボタンがそれと判別しにくい色や形状になった場合、これをデザインした人間は部品のディティールに対する配慮がないばかものだ、ということはできるけど、逆にそれが意図的な変更であった場合、それがどういう意図であるのか、と考えるとけっこうおもしろいと思う。

考えてみると押してほしくないので押しづらくしたと考えられる。なぜ押してほしくないのか? ほかにしてほしいことがあるのでは? たとえば別のこのボタンを押すとか?

ひとりで勝手にやっていることだし、たとえば Web サービスでそういうことを試してみたとしても、お問い合わせフォームで「こういう意味ですか?」って聞くようなことはしていない。(けど、してみたらおもしろいかもしれないと思い初めてきた。)

いわゆる「作者の気持ちを考える」的なことで益体はないし、使う人間にこういう思慮を求めるのはデザインの役割をまっとうできているとは言えないと思うし、特に擁護するつもりはない。けど、思考実験としてけっこうおもしろいし、少なくとも自分が相手にされているのかされていないかはわかる。