この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

親を呼ぼうと思っていたけどなしになった。
自分の中で今年一番くらいに大きな予定で親にもいい報告ができるとおもっていただけ残念だった。

こういうところが足りていないからこうしたらいいよ、という指摘はもらっていて、忙しかったりなんだりで手直しできなかったので仕方ないか、という気持ちはある。というかそうであった。
しかし選ばれた人のそれを見てみるとまったくおもしろさがわからなくて、しかし選ばれたということはおもしろさが伝わったのだとおもう。

指摘を受けた際に、自分は信用が得られていないから、得られているコミュニティの内側にいる人より多く頑張ってアピールしないといけない、といった趣旨のことを言われたことを思い出した。

それを踏まえて自分がおもしろいと感じられなかったものを見ると、自分がおもしろさの価値観が異常に壊れているわけではないのだとしたら、それ単体ではつまらないのだけれど、おもしろいとされている人、あるいは気心の知れた人だからおもしろい、と考えよう、みたいなかんじなのかと思うとすごく腹が立ってやるせなくなってきた。

パブリックになにかするのであれば属人的な基準は明示的であれ暗黙的であれあってはならないとおもう。
いろんな人が見れて、いろんな人がやっていいよ、ということを謳っておきながら、本当は大学のサークルの飲み会みたいなかんじであったら許せない。

採択された他の人のものを読んでおもしろいものもあったけれど、「え、これが?」と思わずにはいられないような内容のものもあって、その人がそのことについて考えたことだから価値があるのか、そのことがとても価値のある分野なのか、わからない。

よくない考え方だとおもうけど、しかしやっぱり釈然としない気持ちはある……。