この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

今年の年明け、帰省から戻ってからアルバイトをはじめるまでの1ヶ月間は一年で最も精神的に充実していた。落ち着いていたとも言える。

平日にあてもなく、とにかく電車に乗ってどこかへ行く、ということを繰り返していたことを思い出している。

阪急神戸線で三宮まで来たときの世界の果てに来たという感覚を覚えている。それから何度か三宮に足を運ぶ機会はあったけど、その時に感じた、これ以上行けない、どこへも逃げられない、そういったゆるやかな支配は特別に感じられた。

地元を出て、大学に入って、その大学もやめることを決めて、どこへでも飛んでいきそうな自分の袖を引っ張ろうとする感覚。どこかに行きたいとずっと思っていて、邪魔をされても絶対に見向きもしないつもりでいて、でも、それでも自分が立ち止まりたい、落ち着いて座って眺めたい、と思うものはなんなのだろう、という興味もあった。

私市に降り立って感じた懐しくもある閉塞感のこと。地元から遠く離れたところにやってきたという気持ちでいたけど、やっぱりどこにも逃げられなかったのだ、という気持ち。絶望ではなかったと思う。安心すらしていた。

草木や空と会話したことはない。地上にあるもの、草花、川、線路。そういったものたちはそれらで固まり、閉じている。空も重く漂っている。閉じ込もっている地表のものと空のものたちを見て、では自分もこうしよう、と閉じ込もってみる。それらのあいだに挟まれて、接してはいても通じている感覚のない様子に安堵している。