レンズ付きフィルムを除けば、フィルムカメラで写真を撮ったことがないし、デジタルカメラ以降しか触ったことがないので、画角とか撮像面とかで35mm版のことを意識することはほとんどない。

CVSはおろかSubversionも $Id$ がかっこよく展開されて一味違う自分を演出できるスゴいツールくらいの認識でしかなかったし、GitとかMercurialしか知らない。

世の中のあれこれは地続きになっていて、善し悪しもその地続きの中で語られることが多い。

35mm版相当の撮像素子を持つカメラの「35mm版と変わらない画角を持つ」という、あるコンテキストでは利点として語られるそれも、35mm版の画角を知らない人間にとってはさほど意味をなさない。

Subversionとコマンド体系が似ているという「利点」だって、Subversionのコマンド体系と似ているということ自体には、Subversionに親しみのない人間にとってはさほど意味がない。

「よいUI」の大きな条件として「既に親しまれている」ということが挙げられるように、既にあるものと変わらないということはそれだけで価値のあることだとおもう。後方互換性。

けど、既にあるもののよくないところが見えているとき、それにこだわる必要はあるだろうか。まったくないということはない。

「使ってもらう」ということを意識するとき、使うコスト、学習するコストの少なさは先ず勘案されるべきだろうとはおもうけど、しかし、現状を変えようとするときに破壊的変更は必ずしも躊躇われるべきではないとおもう。

世界とかそういうのを変えるということはいつもきれいに行えるわけではないとおもう。