この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

ずっとRuby (コード) を書いてきて、その経験の中で培ったものをつかってアルバイトなどをしていて、いろんなものを犠牲にしてRubyに打ち込んできたからその過程でインプットしたものをうまくアウトプットできる環境に身を置けて幸せだなあ、とおもう一方で、いつまでこういう仕事をやるんだろうか、という気持ちも芽生えつつある。

アプリケーション開発とか、そういう具象度の高いレイヤでなにかをやる (RailsMySQLといったアプリケーション・ソフトウェアの運用だとか) 楽しみもかなり広がってきていて、まあ楽しいしその道の人としてずっと生きていくことはやぶさかではないけど、しかしこのままでは技術に触れるために技術を使い食い扶持をつなぐ人になってしまう。技術を使いたいから技術を使うのは最も忌み嫌っている生き方のひとつだし、どの道そういう風な人は業界で生き残れないだろうし、またそういう人が確実に淘汰される自浄作用がきちんと働いていて然るべきだともおもっている。

僕は別に (技術で) 幸せにしたい人なんていない (技術を使って殺したい人間はいる) し、それよりゆっくり写真や音楽に向き合った上で自分のスナップショットであると言える作品をつくりたいとおもっている。

写真や音楽はつぎ込みたいものがつぎ込みたいだけつぎ込めるのがとてもよいとおもっている。数学をつぎ込みたければ好きなだけつぎ込めるし、変声前の男児への性愛も好きなだけつぎ込める。人生という大仰で途方もない括りで語られる時間をかけるに相応わしいものだとおもう。(情報系) 技術はそうはおもわない。短い時間を割いて集中して楽しむぶんにはとてもよいとおもうけど。

一方で技術は破壊したり蹂躙したりすることに長けているとおもっていて、技術を使って世界征服をして地球を支配するみたいなことはわりと真剣に考えているけど、ではいまある世界を壊してもう一度つくっていくとして、どんな世界になるだろうか、と考えたらたぶん自分が知っている種類の人間に最適化された世界になるだろうが、たとえば情報技術 (の人間) しか知らなかったら情報技術に感化された人間ばかりになるだろうとおもう。世の中のおもしろさは、いろいろな人間がいて、にもかかわらず同じところで生きているというその混沌こそにあるとおもっているから、やはりいろいろな人間が死なない世界をつくらないことにはおもしろくはないだろうとおもう。だからいろんな人間や生き方を知って、もっとおもしろい混沌をつくりたい。から、技術ばっかりむさぼるのはよくない気がする。