日常に生きる少女

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

バイトに行ったふりをしなければいけないので、4時間近く自転車で市内をぐるぐるしていた。街中の書店でScalaの書籍をぱらぱらと読んでみたりするなどしたけど、基本的に立っている姿勢のまま数時間すごす、ということがほぼなかったのでかなり辛かった。
自転車で走っていたり、あるいは街中を歩いていたりすると、女の子によく出会う。出会うといっても、別に知り合いではないのでただすれ違うだけ。すれ違っていく女の子たち (もちろん男の人もいるのだけど) は、おれのことを気にもかけていないだろうし、あるいは気付いてさえないかもしれない。ただ、おれは違って、いつも彼女たちの視線の行く先を恐れている。あの、冷たい、憐れみを含んだ視線をおれに投げかけるのだろうか、と。
女性に惹かれて恋をしたことは今までに何度もあるし、性欲だって催す。それでも、あの視線が怖い。十代の女性は神格化されるほどの魅力と共に、これもまた神格化されるほどの凶器を持っているのではないか、とおもう。たとえば胸 (乳房) だったり、尻だったり、腰のくびれだったり、鎖骨だったり、ふくらはぎだったり。そういう切り取られた象徴、記号みたいなものに扇情されたりするが、どこかに「人間らしさ」を見い出し、「人間らしさ」と「女性的なるもの」が繋って「女性」を描き出したとたんに、性欲は吹き飛び、恋心も掻き消える。
人間は嫌いなものだけど、女性は怖いものだ。インターネットでの関係性は、まず物理的な障壁があって顔が見えないということで、相手の性別 (女性であるかどうか) を意識しないで済む、という点でとても心地がいい。女子高生だよ、中年サラリーマンだよ、という自称は単なるキャラづけ以上の意味を持たない。視線を交わさずにコミュニケーションできる、ということはとても心地がいいことだ。
そういえば、視線と同じくらい怖いものがあって、それは声だ。声は肉体的なもの (乳房だとか尻だとか) よりよっぽど性的なものに満ちているとおもっていて、まあ、それはどうでもよいことで、怖いのは「声」というより「会話」だ。冷たく低い声色が怖くて仕方がない。だから電話も嫌いだ。インターネットがなくとも、おれは徹底的に文通にこだわっただろう、という気がする。