この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

あーあ、疲れているから休めるためにさっさと寝たほうがいいと頭ではわかっているけれどビールが飲みたくなってしまった。だから飲んだ。あと疲れているときは気が滅入りがちだからやっぱりお酒は飲まないほうがいいとはわかっている。けれども!

この前見た展示のことがずっと引っ掛かっている。

自分はなぜ写真を撮るのか。しかもスマフォで気軽に撮るという楽しみ方を知りながらわざわざでかいカメラを持って、写真を撮るためだけにどこかへ行くのはなぜなのか。アマチュアとして中途半端な向上心で撮り続けるのはなぜなのか。

そんなことはわかりきっていたはず。自分の心が動いた瞬間を残すため。ずっとそれだけが目的で、それが楽しみだったはずだけれど、すっかり写真を撮る行為で自分の心の揺れ動きにレールを敷いていた。そういうことに気がついてしまった。

情けないとか恥ずかしいとかそういう気持ちがずっとずっと燻ぶっていて、うわー! ってなった。これはうわーっていう気持ちの供養。

うわーっていう気持ちの中には、新しいものを求める気持ちより、知ったものを味わい続けたいという気持ちが強いことに対するコンプレックスもある。

高山、金沢、宇治。ここらへんは好きで何度も行っている。まだ行ったことのない場所もあるけれど、既に自分が好きなところのまだ見たことないものを見たいという気持ちが、どうにも攻めきれない好奇心の成れの果てのような気がして、いったいなんなのかという気持ちがずっとある。

こうやって書いてみれば言うほど劣等感を抱くほどのことじゃないじゃん、そもそも好奇心に優劣とかあるの? って思うけれど。

他人と比べてどうって考えたわけじゃなくて、もっと鋭敏でいられないか、見落としているものはないか、ってずっと焦っている。気持ちいいものを求めるこの気持ちは、最上のものを求めているがゆえではなくて、単に身動きしたくない怠惰から起こったものじゃないか、って焦っている。そうなったら、何もない自分は本当に何も手に入らなくなる。

でもそんなに悪いことばかりじゃない。

この前、高山に行った時のことは強く残っている。秋晴れの1日目と雨に煙った2日目。雨の日は、特に何かの皮が剥げたような、取り繕われた何かが取り払われたような気もして、楽しくて仕方がなかった。

雨に濡れて艶が宿り、曇り空でディフューズされた光がまわった景色に、純粋な、自分が求める根源的な美しさを見た気がする。

誰もいない境内の中を歩きながら、この瞬間を独占できた喜びと、この瞬間が置き去りにされず誰かに見つけられたことに安心する。