あとNメートル

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

一般的に写真が上手な人は広角で撮るのが上手であると言われる。この文脈における写真が上手というのは、ものの形を捉えることが上手であること、ものの形の機能性を知っていること、と言えると思う。

なんとなくそういうことが頭の中にあるので、写真を撮ることに対して勤勉な気持ちが高まった時は 28mm だけ持ち出してみる。


ちょっとカメラの話をする人には何度か言っているけれども、GXR の 28mm もとても素敵。

木々が集まっているような細かな画の時に少し物足りなさを感じないでもないけれど、まあ大したことではない。

GR より少し明るいのでぎりぎりまで寄るとよくボケる。広い画角にボケがあると、パースペクティブが出ているので立体感がより強調される。

50mm は標準と呼ばれ、これもまた卓越した人は使いこなすと言われている。

50mm は漫然としているときの人間の視界と同じくらいの広さの画角であるといわれる。漫然としているときとは、つまり何かに着目しているでも、視野を広げて情報量を減らしているときでもなく、比較的注意が向いていないときといえる。

むずかしいというか、はっきり言ってしまえばつまらないと思う時も多い。
視野の延長として使うには、まさに帯に短し襷に長し、といえる。

写真を撮るとき、きっと人は無意識の内に感動を求める。それは雄大な景色に圧倒されたいだとか、美しい花を射止めたいだとか、そういった欲求に置き換えられるだろう。

標準の画角はそういった感動に呼応して、広がらず、あるいは狭まらないので退屈にさえ思えるのだろう。

実際のところ、標準の画角におもしろみを見出せるまでには至っていない。

うまく使えばパースペクティブを演出したり、逆に圧縮させることもでき、広角の画角も望遠の画角も手に入れることができるとも言われていて、実際これはちょっと身に付きつつある。

中望遠-望遠くらいが好きで、自分の中での標準となっている。

被写体とのあいだに物理的な距離を保ちつつも、写真的にはむしろ距離を縮めているように見える、というのがとてもよい。

人に近づくことも近づかれることも嫌いなので、たとえ草花などが相手でもほどよく距離を保てるこれくらいの画角は安らぎさえ与えてくれる。

そういえば、自分が写真を撮るようになったきっかけを与えた人がこれくらいの画角でよく写真を撮っていたので、それが焼き付いたのかもしれない。