PENTAX K-7 と K-3 を売った

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

正確には発送しただけでまだ到着して売買は済んでいないので「手元を離れた」くらいが正しい。

そう、とにかく自分の手元から二台のカメラが去っていった。あと K-7 と一緒に買った DA 35mm F2.8 Macro Limited というレンズも売った。

カメラを売るのは初めてじゃないけれども、こんなに使い込んだものを手放すのは初めて戸惑ってしまうくらい感傷的になっている。

K-7 は5年前に初めて買った DSLR で K-3 を買うまで2年半くらいのあいだずっと持ち出して写真を撮っていた。カメラの扱いもよくわからなかったのでかなり手荒に扱っていたなと今になって思う。
しかし壊れるどころか動作不良などを起こしたことは一度もなく、本当に信頼のおける手足というに相応しかった。

カメラは精密機器であるものの、けっきょく写真を撮る道具なのでこれを果たすために持ち出すにあたって神経質になりたくない。そういうわがままに応え続けてくれた。

ちょうど大阪に引っ越す前に買って、ずっと家の周りの河川敷や遊びに出かけた梅田や京都、広島で写真を撮るときはいつもこれだった。重いと思うこともよくあり、うんざりしたこともあったけど、けっきょく持ち出して撮った写真を見たら何も言えなくなる。

K-3 は初めて新品で購入したカメラだった。24MP になって Lightroom で拡大したりするのがあきらかに時間かかったりして、画素が増えたな〜なんて牧歌的な感動をおぼえたことはよく覚えている。

少し古びたところがあると感じていた K-7 からだいぶ進化して自分の用途においてほとんど不満のないカメラだった。

  • 暗所における AF
  • デュアルスロット
  • 被写体・条件によって ISO 1600 程度まで許容できるようになった高感度性能

などなど。

多少カメラの扱いというものを知ってから手にしたカメラだったので、いくらか丁寧に扱うようになり、実際手放すまでまあまあきれいだったのではないかと思う。

K-3 は三脚立てて月食を撮ってみたり、撮り鉄みたいなことをしてみたり、基本的な性能のよさに触発されていろいろ技法を学べたし、実際ここ1年くらいは成長できたというか視野が広がったなという実感を持てている。

じゃあなんでこれらカメラを手放してしまうのかといえば、使わなくなるから。

過去の経験から、よっぽどカラーが異なるわけでもなければ自分はサブ機なんて扱えないということがわかっているし、なんだかんだいって新しいカメラに慣れたあとだとそれまでのカメラは色褪せて見えてしまうだろうと思う。

実際、帰省してから感傷だけで K-7 と DA 35mm で写真を撮ったら、目が覚めるというか、細かい使い勝手が違うこととか遠景がしゃっきりしないな、とか、目に見えて劣っている点に目がいってしまう。もちろんそれだけじゃないんだけど。

あと重要な点として、K-1 は高いので元手がほしい。

K-3 も K-7 もいいカメラなので、どうか他の人にもらわれて使われてほしい。