『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を観たのでネタバレをする

する。

バカかこいつは、とずっと思って観ていた。幼児退行を起こしたのだと思っていた。こんなやつだったのか? と思った。

でも「こんなやつだったのか?」と思って気付いたのだが、旧劇では「何もしない」をやってみせたシンジが「なにか」をして、他人から期待を集めた、という事実を改めて認識させられた。

「このシンジならやれるのでは?」と期待していたかもしれない。もっというなら「今度のエヴァならあるいは?」と期待したかもしれない。

少なくとも『Q』においてシンジが目覚めた瞬間、言葉を発する前からああいう態度をとった周りの人間は、彼がごちゃごちゃと言い逃れをしたからああいう態度をとったのではなく、彼の行動あるいは結果に対してああいう態度をとったと考えるのが妥当だと思う。

ところで周りの人たちの「ああいう態度」はどう受け止めるべきなのだろう。少なくともサクラや後からやってきたオペレーターのような「以後の人間」たちは露骨に嫌悪感、怒りを抱いているようにみえた。そのまま、「サードインパクトを引き起こした迷惑な子ども」というくらいの気持ちだろう。

では「以前の人間」たちはどうか。リツコやミサトはどうだったろうか。微妙だと思う。微妙というのは、単色ではなさそうということ。

希望的観測に近いものがあるが、リツコやミサト、特にミサトは『破』におけるシンジの行動をいまでも支持していると思う。少なくとも積極的に否定するものではないと思う。しかし、いわゆる「大人の事情」や「体面」があるゆえに積極的に支持もできない。シンジの行動を否定できないが積極的にも肯定はできない、というジレンマから出たのが「あなたはもうなにもしないで」なのではないか、といったことを考える。

しかし「もうなにもしないで」も十分キツいような気がするから、そんなことはないかもしれない。時系列もだいぶ怪しいかんじはする。

『序』にあった映画としてのドラマ性もなく、『破』にあった広がりを感じさせるエンターテイメント性もなく、ただただモヤッとした断絶感を与えることに徹した『Q』はなんだかんだで次への期待が否応なしに高まっていくことから、連作映画のうちの一作としてよい作品なのかもしれない。

「行きなさいシンジ君! 誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!」というミサトの台詞は素晴らしかったし、このときにはじめて「ああ、やっと変わった」と思った気持ちは変わらない。