小学生のころは「人を嫌う」ということがよくわからなくて、部活に入って先輩に気に入られなくてとても困惑した。人を嫌う必要なんてあるのか? みんな同じ人間なのだから、それだけで十分なのではないか? と不思議で仕方がなかったが、それでもずっと目の敵にされた。無邪気だった。
中学生のころは学校の人間よりもおもしろい人がいる世界を知って、学校に対する興味が失せた。友達も急に色褪せて見えてきた。とてもつまらない人間のようにおもえてきた。「君たちとはつきあってられないよ」とでも言うように学校を休みがちになる。避けたから遠ざかったのか、遠ざけられたから自分から避けてやったと思い込もうとしたのか、はたして今ではわからない。
高校生になったら変わろうとおもった。もう先輩もいないし、自分を馬鹿にした同級生もいない。はたしておれは変わった。友達もできて、男女かかわらずいろんな人と話した。快活に笑う自分がいた。大学を目指していたけど、部活が楽しかったからあまり勉強をしなかった。それでもそこそこの成績がとれて、学年で10番くらいには入ることができた。そうだ、そもそもこの高校にきたのも、高校受験がしたくなかったこと、自分より勉強のできないやつに囲まれて楽にいちばんになりたかったからだ。これでいい。部活で楽器が一番うまいのは自分だった。あたりまえだ、遊んでばかりで、口を開けば酒を飲んだだの、煙草の銘柄はどれがいいだのと話すようなやつらとちがって、楽器をたくさん弾いている自分が劣るはずがない。勉強ができるんだね? 誰にむかって口をきいている、おまえのような馬鹿とは違うんだよ。雑談の話題がアニメか酒か煙草かセックスしかないおまえらとはちがって、おれは知的な人間だ、猿のように生きるおまえらとはちがう。やはり高校も大したことがない、所詮この程度か。この程度のやつらなのに、惚れた振られた、誰と酒を飲んだ、そんな下劣な話を聞いて、どうしてこんなにも惨めで恥ずかしくて、それでいてキラキラした気持ちを抱くのだろう。わからない。きっと優秀な人間がいるところに行けばわかるだろうから、いい大学へ行こうとおもった。
そうしてテレビなんかで見聞きするだけのアイドルみたいな存在になっている有名な学校の人間を知る。輪郭のぼやけたアイドルとしてではなく、たしかな人間として。そしてたしかな人間として存在する彼らは、知的で優秀で上の階層の人間であることを隠していなかった、隠しきれていなかった。本物である。ただの田舎の勘違い野郎ではない。本物の上位種である。見下すことを意識していない。あたりまえだ、最上層にいるのだから見るものは自分と等しい高さかそれより低いものだけだ。見下ろすのがあまりに自然な所作で行われる。彼らを恐れた。馬鹿にされる。「そんな程度で勘違いしたの?」って馬鹿にされる。慣れたように上から見下ろす目線はあたたかった。人のぬくもりを保ったまま降り注ぐ視線をはじめて知った。
それでやっと、いままで馬鹿にしてきた人たちに対して、おれがどれだけ憧れて羨んでいたのか、ということがわかった。おれは誰かを見下したかったのではなくて、誰かとしょうもないことで笑いあいたかったのだ。自分が憧れたものを掴みかけていて、それでいて勘違いの末に自ら手放したことを後悔したりもした。自分が後悔するだけならいいだろうが、誰かを傷つけたりもした。
だからもう誰かを馬鹿にするのはやめようとおもった。
東大生は怖い。彼らはスラングを用いて暗黙の差別化を無意識の内に行う。意識して見下すことすらしない。他人を見下そうとした自分以上におぞましいなにかが見える。きっと彼らは、おれのことも意識せずに馬鹿にするだろう。他人を馬鹿にすることしか考えなかったが、自分が馬鹿にされることは考えたこともなかった。彼らはそれができるだろう。あるいはおれの妄想だろうか。
けっきょく学生になったが、周りに馬鹿にされている気がする。北海道から関西に出たことを驚かれるたびに、馬鹿にされているとおもう。高校で軽音部に入っていたことを驚かれるたびに、馬鹿にされているとおもう。自分が口を開くたび、あるいはただ立っているだけで笑いものになるような気がする。高校のときに掴みかけて、でも手放してしまった人との関わり方をおもいだせた気がして、だから、きっと大学に入ってもそれを糧にしてうまくやっていけるとおもっていた。
しかし、だめだった。どうしようもなく弱いのだ。他人を馬鹿にするということは、それだけ自分を評価できなかったから相対的に自分の価値を高めようと逃げただけなのだ。そして、それを知ったところで克服されたわけではない。けっきょく、なにも変わっていないのだ。
次はどうやって逃げようか? 他人を馬鹿にした罰だとでも言い聞かせようか?
人が怖い。人を馬鹿にしたり、避ける生き方も、きっと選択肢は多くないだろうがあるはずだ。それでもそうしたくなくて、人と関わりたいと願ってしまうのは、いまでも憧れるからだ。いつかの彼らのようにキラキラと生きてみたいのだ。透き通るように笑った彼らとおなじように笑ってみたいのだ。
だめだろうか? もう無理だろうか? それに答えられるのは自分だけであり、そして自分は「諦めたくない」と憔悴しきった顔で呟くだけだ。逃げることを意識せずに逃げ続けた自分は、逃げることすらまともにできない。あるいは勇気を以って逃げるべきだろうか?