やるべきではない理由は常に存在する

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

やるべきではない理由は常に存在する

仕事とかプライベートとか特定のシチュエーションに限らず、なにかに取り組む時の話。

やりたくない」という感情は常に湧いてくるので、常に存在する。なので「『やるべきではない理由』がゼロの時だけ何かをやる」という行動指針は機能しない、という気持ちで暮らしている。

Will/Can/Mustは、最後にMustだけが残るという考え方と同じ。

で、大抵のことはやると良い理由が存在するから、やるかやらないか考えるのはあまり意味がない。どうやるかを考えるほうがよい。

「良いデフォルト値」を持つというのはより一般化された素敵な抽象化だと思う。

refs. あとはAIに任せて人間は自由に生きる - Speaker Deck

このスライドはhitodeさんの日記で知った: プロセスや仕組み以外に大事なことは何? - hitode909の日記

ちなみにこの「やるべきではない理由は常に存在する」という考え方は「理屈と膏薬は何処にでもくっつく」ということわざが印象的で、自己決定とか仕事とかも似たところがあるよなあという考えを無理矢理よせて言葉にしてみたもの。

三方良し

他にも、「プロセスや仕組みだけでなく、〇〇が大事だよね」という主張はいろいろできると思うので、思いついたら教えてください。

せっかく読んだので書く。

「三方よし」か? という問いを立ててアイデアを磨く取り組みは、いろんな振り返りやKPTのシチュエーションで通用するので気に入っている。

KPTとかをやって改善案を考える根源的な理由はよりハッピーになりたいからといえる。

手間を減らしてもっと別のことに時間を割きたい・もっとユーザに求められているものを届けてユーザにハッピーになってほしい・ユーザがハッピーになった結果、売上が増えて給料も爆増してほしい、などなど。

チェックリストの項目を増やすと、同様の事故が再発する危険が減るかもしれないがほとんどの善良で良識のある人にとってはただただ考えることが増えるだけで、三方のうちの一方はよくない。

といった風に改善に量の概念を持ち込むと「チェックリストの項目を増やして満足する」みたいなよくある落とし穴を避けられるし、関係者の多い仕事という文脈を離れて人生にあてはめることもできる。

たとえば人生はだいたいお金をかけると良いかんじの体験を得られがちだけど、そうすると何にでも金をかけることになって破綻するのでそれを牽制する他の要素を見出す訓練にもなる。

ちなみに「要はバランス」という考え方とどう違うかというと、基本的に関係する要素すべてをハッピーにするということに意識を向ける点が違う。

バランスをとること自体は全員が不幸になることでも達成されるけど「三方よし」はそうではないという違いがある。