この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

また高山と金沢に出かけた。金沢行きは2日前に決めた。コロナウイルスで人出が減っている、天気予報で雪が降りそうだった、というのが決め手。

結論からいえば今回も深雪の高山を見ることはできずじまいだった。それでも着いた日は真冬日で積もりはしなかったけどけっこう降っていた。

そのかわり北山公園や城山公園をハイキングしてまわって冬に訪れていない場所を歩いたり、寒い中ぼーっとしたり。

これがこう
これがこう (2)

1日目は寒くどんよりとして、冬らしい日。2日目はほどほどに暖かく雲のない快晴。

寒くてどんよりしているほど、よそいきではない素の姿を見れたような気になる。あと、中心部を外れてユニクロとかが集まるショッピングモールもそんなかんじがする。どこまでいっても自分が気楽な外様だということは変わらないけど、少し核心に近付いた気になれる。

宿にチェックインして温泉に入ってゆっくりしていたら、行きたかった店が閉まってしまい、別の店に。隣では会社の飲み会みたいなのをやっていた。

「現地の生活」みたいなものに憧れてみたかと思えばただの観光客に戻ったり。夜、筏橋で宮川を見つめている時にどうしようもなく泣きそうになるのは、フィクションと無限の距離を感じてしまったからかもしれない。あまりにそこに知っている人がいそうな気になればなるほど、そこには誰もいないのだという冷めた気持ちが強く湧き上がって、致命傷を負う前に現実に戻そうとする。そういう時には何もかも虚しくなってしまって、今目にしているものを残したいという気持ちも、写真という空虚な方法にしか頼れない自分の空っぽさまで嫌になる。それでもぎりぎり踏み止まって、どうにか残して、自分がこれだけ苦しんで囚われ続ける景色が今も強い光を放ち続けているのだということをどれだけ経っても思い出せるようにしたい。