「お家事情」のようなもの、外に見せるべきでないとおもうし、ましてや外の人がよその「お家事情」に振り回されることはあってはならないとおもう、これはずっと変わっていない。
一方で「家」の中にいる人間が「お家事情」に振り回されることは避けがたい。「家」の事情なわけであるし。
「家」の中にいながら外の人と接するときに、「家」にこういった事情があってむずかしいのだ! と言いたいこともあるけど、しかしそれを言ってしまってはなにもかもおしまいだ。
「お家事情」を解決するのがきれいな解決方法だし、それを目指していくしかない。
きれいにできないからといって妥協した到達点を目指しても、下げた到達点に向かう最中に高度を下げられて、結果として理想よりだいぶ下に着いてしまう。
そこに到達できないからといって最初から到達点を下げても、その下げた到達点にさえ到達できないのだから、あるべき到達点、理想とすべき到達点を目指しつづけることでしかものごとはよくならない。
現実を知らない自分が見た「現実」に沿った目標に果たしていかほどの価値があろうか、いやない。