この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

多くの人は名声や知名度はないから、名前のような形式的な識別子はあまり意味がない。

私はナントカです、と言われても覚えられない。その人が自分にとってどのような人間であるかという質を表すために名前といった識別子はなんら役立たない。

私はアレコレをした者です、とかそういった人間の質を表すなにかを手掛かりにしないと人間は区別できない。

多くの人間を幾重ものフィルターごしに見ていて、しかしなにも見ていなくて、人間を人間と見ていない、見られない。人間であると識別した途端に膨大な情報がやってくる。どこで生まれたのか、小学校では体育が得意だったか、電車に乗って通学した体験はあるか、チャットを通じて会話するのが楽しくて修学旅行を早退した体験はあるか、姉がいるか、祖父は健在か、修学旅行で広島か長崎には行っただろうか。

そういった些細に思えるような、しかし重くのしかかってくる生きた人のかたちをごまかしているのではないか。

虚飾で自分が名によってかたちどられる者であると信じ込むより、自分が取るに足らない名も無き人間であるということを実感させることのできる世界がいい。あなたはすごい、と嘘をついて騙して騙されて心地良さそうにしてくつろぐさまをしあわせと言うことはできない。

その人の人格が表れているとされるものを他人と入れ替えて、交換可能であるかどうかを試してみたい。可換であるならばその人との性質距離はゼロであり同一になる。