リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)
- 作者: Dustin Boswell,Trevor Foucher,角征典
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2012/06/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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よさそうな内容であるので帰りに買ってきた。
駅の近くの書店2つにはオライリーの本がまったく置いてなくてあまり近くない、河原町よりにあるジュンク堂によって買った。
今週に入って久しく早い帰りで、それはよかったのだけれど、まだ帰宅ラッシュが明けきっていなくていつにもまして通勤特急、快速急行はゆったり乗れそうにもなかったし、ちょうど『リーダブルコード』を読みたかったところ、9300系が準急の運用についてやってきたのでこれ幸いと乗って、ゆっくり読みながら帰る。
半分ほど読んで、文章がリズミカルでよい。ふざけすぎず、まどろっこさのない、疲れない文章だとおもう。内容もさっぱりしていて、難しいことはない。実践し徹底するのはいくらか難しいだろうけれど。
なんとなく、不文律として存在したり、分断された中で共有されてきたであろう知見が、こういうかたちで共有されうるというのはよいことだとおもう。「よいコードとは」という問いを明確にし、さらにそれに対する答えに名前をつけて共有を助けている。
「コメントにはWHYを書け」という言葉は知っていても、ではどう書けばいいのか、よいコメントとはなにか、ということがわからないことはままある。
そもそも「よいコメント」を見極める審美眼がないから迷っているところに、抽象的な格言めいたものだけを投げかけても仕方がない。
コメントの書き方ひとつとってもそうだし、とにかく教えられる側、「まだなにかを掴めていない」というメンタルモデルに優しくアプローチしている。
最近、コードというのは書けば書くほど他人が幸せになるようなものではなくて、なければないだけ (少なければ少ないだけ) よいことである、ということを身につまされている。
考えるより先にコードを書くという文化が生み出すものの価値はそれとして、コードを至上のものと考えるのではなくて、ほんとうに必要としているものはなんなのか、ということを見失わないようにしなければいけない。
大抵の場合、ほしいのはコードなどではなくて、ニコニコ動画をオフライン環境で見られるという体験であるとか、そういったもっとフワッとしたものである。