この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

自分だけの問題ではないし、とてもデリケートな話題であるのでこうして赤裸々に書くのはどうかとおもうけど、なんとか言葉にしておきたいとおもったので書いておきます。もしかしたら消したりするかもしれない (インターネット上に公開したものはできるだけ消したくない、という思想であるので……) けど。

ある人から好意を伝えられたのです。

手を握ることを求められた以外は特に肉体的 (セックス、キスなど), 精神的 (交際など), あるいは社会的 (入籍など) な干渉を求められたわけでもなく、相手にそういったことを考えるほどの余裕があるようにも見受けられなかったので、特にそういった干渉を求めているわけではない、少なくとも結論は出ていないようでした。

その人が僕に抱く感情が具体的にどのようなものなのか、はたして僕にはわからないのですが、しかしそれはどうでもよくて、その人が僕に対して好意を抱いていること、そしてそれを言葉にしようとおもい、実際に言葉にしてくれたことがなによりも嬉しいのです。

一方で戸惑ってもいるのです。なぜ自分に好意を抱くのか、と訊いていたい気持ちが少なからずあります。しかし、好意を抱くこと、それを伝えることに、そんなに深い意味はないのかもしれない、ともおもいます。僕も誰かに好意を抱いた経験はありますが、実のところきっかけも理由も曖昧です。強いて言うなら「その人がその人であるから好きだ」というくらいでしょうか。なにかしらの評価・価値があるからこそ好意を抱くわけでもなし、だから「自分には価値がない (だから好意を抱かれるのは不自然だ)」と考えるのは筋違いの懸念なのかもしれないと考えています。

僕という人間に対する家族以外からの好意は、中学生以降、はっきりと伝えられたことがありませんでした。まったく周りから嫌われていた、というわけでもなく、単にあえて言葉にするまでもないような気心の知れた関係ばかりだった、というだけのことなのだとおもいます。なんにせよ、恋愛感情にも近い、はっきりと言葉で表された好意というものとはずいぶんと縁遠かったわけです。僕は今でも周りの人たちからまったく嫌われているとはおもっていませんが、まったく好かれているともおもえません。なにも言われないから、ずっと宙ぶらりんのままです。もちろん、僕だって彼ら彼女らに対する感情をはっきりと表現していないので責め立てるつもりはありません。

僕が (そしておそらく僕の周りの人たちもそうでしょうが) 誰かへの感情を露わにしないというのは、露わにすることで壊れてしまうものの存在を感じ取っていること、壊れてしまいそうなそれの価値は誰かへの感情と秤にかけられない・かけづらいものであること、そもそも誰かへの感情というのが言葉で濁りなく表現できるほど明瞭でない、といった疑問や葛藤が重なっているからなのだとおもいます。むしろ誰かへの感情をはっきりと言葉で表せることのほうが稀有なのでしょう。だからこそ価値があるといえます。

ここ数年は自身と他人との距離のとりかたに悩む時間が多く、特定の誰かに好意を抱いても、その人との距離のとりかた、コミュニケーションのとりかたを考えることで精一杯で、ほとんどその向こう側にいるはずの相手のことを見据えることができていなかったようにおもいます。そういった不誠実な態度は鋭敏に伝わるもので、それがきっかけで関係を悪化させてしまったことも少なくありません。それゆえ壊してしまった関係については悔やみきれません。

だからこそ今ある関係に思いを馳せることを尊び、伝えてもらった好意を血潮として自身に巡らせよう、とおもうのです。

これからもずっとその好意に適う自分でありたい、と強くそうおもいます。