この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

自分語りも同類による傷の舐め合いも、気持ち良すぎておかしくなりそう。ずっと、このまま、麻薬のような快楽におぼれていたい、とか考える。セックスに明け暮れる人の気分ってこんなかんじなのかな、とか想像してみる。

せっかく出会えた人だからこそ、傷の舐め合い程度で収まるのではなく、もっと互いを刺激しあえるような関係を……って考えたけど、それってすごく自己啓発的っていうか、常に強い人物像を要求することになってしまって、キモいし疲れるし、いいことないなあ。

向上心がないものはばかだ、というのは確かだとおもうし、けど力を抜いた付き合いができる相手ももちろん必要で、臨機応変、柔軟に付き合い方を変えられるほうが幸せになりやすいのかな。

他人へのSOSサインの出し方がよくわからないから、いつも一人相撲になってしまう。力のある人間ならじゅうぶんに踏ん張れるのだろうけど、残念ながらおれは弱い。他人に助けを求められないことも含めて、おれは、弱い。

誰かに「優しくして」と言うと、ずっとその人を「優しい人」に縛りつけてしまうようで、こわい。おれが優しさを求めるのは、おれが欲しいときだけなんだよ、そのとき以外は優しい人でなくてもいいんだよ、ということを上手に伝えられる自信がなくて、いつも口に出せずにいる。

じゃあ、おれが優しい人になろうかな。ところ構わず、誰彼構わず、とにかく優しさの限りを尽くす迷惑人間になろう。むずかしい優しさなんていらなくて、「おはよう」とか「このケーキおいしいね」とか、単純な言葉を言うだけの優しさをあげる人間に。

自分が求めている優しさなんて、100均で売ってそうな安いものなんだな、ってみんなに気付いてもらえたら、きっとみんなはもうすこし楽な気持ちで「優しくして」と言えるだろう。みんなが「優しくして」と言えるようになったら、おれは、どうしようか。

どうしても自分のことを自分のことのようにできないから、他人のことを他人のようにしてあげよう。身につけた知識も考え方も、頭でっかちかもしれないが、きっと役に立つとおもう。自分のことはうまくできないけど、他人のことならうまくできるから。

自分のことより、他人のことのほうが、簡単だと考える人もいる。