31

去年

31になった。今週に入ってからやけに日付感覚がなくなっており、気付いたら月姫Rの発売日になっていたし、誕生日が来ることも直前に気がついた。

 

移住

d.aereal.org

めでたく今年始めに金沢に引っ越した。もう半年経っている。

コロナ禍にあってなんともいえないところもあるけれど、金沢というまちが持っている魅力と、新しい生活への期待感とでなかなかに楽しい。

 

一方、週末の気晴らしに無為に鉄道に乗るといった楽しみ、宇治へのおでかけなどは失われた。

あと地域のつてがなくなって、たとえばワクチン接種の余った枠を教えてもらうといったことができなくなった。友達とのSlackワークスペースでたまにそういう話をしているのを見ると、なるほどこういうビハインドがあるんだなと気付かされる。

 

とにもかくにもまだまだ金沢というまちを発見しきれていないし、もっと歩きまわりたい。

車の免許を取ろうと教習所に通いはじめた。ちょうど来週頭にみきわめを受けて、運がよければそのまま来週にも卒業試験を受けて免許が発行される見込み。

自動車に乗るなんて一生縁がないと思っていたしそのつもりもなかったけれど、MAZDA3という車を知ってしまって何もかもが変わった。

www.mazda.co.jp

半年くらいずっと眺め続けているけど、いやー、飽きないしかっこいい。

金沢はやはり車があれば便利ではあると思うが、必須だとは思わない。それでもわざわざさまざまなリスクや厄介を抱え込んででも免許をとって車を買おうという気にさせられたのは、よくよく考えるとけっこうすごい。

 

その他には、やはり自動車の運転をスポーツの一種として捉えた時に楽しみどきのピークのひとつが2030年を前にやってきそうだということ。

つまりEUを中心に進んでいるEVシフトに伴うピュア内燃機関自動車の衰退がある。

自動車を運転した経験がほとんどない自分にとってEVとICEVの楽しさの違いは評価できないけれど、ICEVをとりまくエコノミクスは不可逆的に変化してしまうことは確定路線なので、触れるうちに触ろうという気持ちになった。

 

あとはあまり意識していなかったけれど、ここ数年で久しぶりにまったく新しいことに取り組もうともしている。

もちろん気楽に楽しめることばかりではなく、責任やリスクがついてまわるけれどそれら含めて楽しみにしている。

スマブラ

3月くらいにメンバーシップコミュニティに入り、ちょくちょくフレ戦をするようになり、だいぶ成長を感じるし楽しさが一層増している。

特に「だれかと」対戦だけではモチベートされきれず目標の置きどころを見失っていたところに光明が指したこと、ホムラ/ヒカリという動かして楽しくその上強いファイターが参戦したことなどが追い風になった。

来年3月までに前職の同僚とコミュニティで一番対戦している人 (二人ともVIP中堅くらい) にBO5で勝つというのを目標に据えている。

ちょうどこの前、コミュニティでお世話になっている人に初めて一本とれて、かなり嬉しかった。

カジュアルな対戦だったし一本とったきりだったけれど、それでもかなり良い試合運びができたのですごく自信に繋がった。

DLCファイターは次の1体で完結ということで、スマブラSPというゲームもひとつの節目を迎えようとしている。なんとか自分にとって満足のいく結果を残したい。

VTuber

自動車やスマブラの試合などを見る都合、YouTubeを見る時間が増えた関係でVTuberのリコメンドを見かける機会が増え、ふとした時に見たらおもしろかったので追うようになってきた。

今は委員長 (月ノ美兎) とリゼ皇女のチャンネルを登録して追っている。

www.youtube.com

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二人のプレイするゲームに親しみが持てるというか、あまりFPS実況の楽しみ方がわからないのでそういうの中心のVTuberには興味がなかったけれど、ウマ娘や変なインディーズゲームを遊んでいるのは楽しく見られる。

エンジニア

先週のISUCON 11では予選敗退した。最良スコアが30000ちょっと、最終が27000いかないくらいで予選通過ボーダーにはかからなかった。

最後に自分が担当していた修正が間に合わず、あとから検証してみたところそれと軽微な修正で11万くらいになった。

これだけではなく、その他のコード修正でもチームメイトにGoのコードレビューをしてもらった時に知らないことが多かったし「window関数を使ったらいけそう」って言われても書けなかった。

とにかくソフトウェアエンジニアとしての地力が足りていないとはっきりわかった。

こういう状況の一方で、今の職場では実力があるほうのエンジニアだと評価されており、この組み合わせは非常にまずいと感じる。田舎の大将を張っていられる環境はいちばんまずい。

35歳で定年を迎えるならまだましで、当人はいつまでも現役を張れていると思い込んでいるが実際には何の役にも立たないというありさまは絶対に嫌だ。死んだほうがまし。

来年のISUCON (あれば) では本選出場する。

先に行くもの

実家で飼っていた犬が亡くなったと連絡をもらった。火葬は済んだとのこと。

もうそろそろかもと連絡が来て1週間くらいのこと。

 

自分が13か14くらいの頃に飼いはじめた。享年15〜6歳くらい。名前は自分がつけた。

その前に犬を飼っていた時のことなどから、自分は新たに飼うことに反対していた。にも関わらず飼うことが決まって、だいぶ怒ったおぼえがある。

それでもやってくることになったのだし、とせめて名前はつけさせてもらうことにした。それがどういう意味を持っていたのか、もうよく覚えていない。

 

室内飼いだったので大きな病気も怪我もしなかったけれど、いかんせん内弁慶な性格でよく吠えていた。

 

大学受験浪人していたころは、日中一緒に過ごすことがとても増えた。

自分がいるから構ってもらえると思っているけれど、こっちは勉強したいので毎日少し構って、飽きて寝始めたら勉強する、という流れがいつのまにかできていた。

それに味を占めたのか、自分が家を出るまでその生活は変わらなかった。

 

家を出て初めて帰省した時、どうにも見慣れない人間がいるぞってかんじの吠え方をされた時は、実はけっこうショックを受けた。

その頃にはもう良い年だったし、半年以上見かけていなかったら匂いも忘れ死んだのだと思ったのかもしれない。

荷解きをするうちに思い出したようだったけれど、ああ、そうか、家を出るってこういうことなんだと思わぬところからジャブが繰り出されたという印象が強い。

 

それから飼い犬や家族と顔を合わせる時間は指折り数えるほどなんだろうなと意識するようになった。

 

最近はめっきり寝ている時間も多く老け込んでいたけれど、大きな病気もせず概ね健康だった。

 

いろんな計算が狂ったのはここ1〜2年のことで、コロナ禍で帰省もままならぬ状態になった。

そうこうしているうちに、ついに冒頭に至る。

 

たぶんいろんなリスクを冒してでも看取るという選択はあったはずではある。

でも寿命を全うしようとしているだけだし、生者が勝手にゴタゴタするっていうのも単なる自己満足だよなって考えはじめると、今生を終えようとする飼い犬を言い訳にして本当に満足できるか? っていう疑問が湧き立ち、間違って高齢の親や生まれたばかりの妹の子に何か起こしてしまったら自分は一生飼い犬とそのできごとを結び付けて考えるだろうと想像できた。

それって本当に愚かで何の意味もないことで、けっきょく死にゆく者にとってはまったくの些事でしかない。

 

なので帰らないということを親に伝えた。そして今に至る。

 

今、まったく感情は凪いでいて、実感が湧かない。帰省したらいる気もする。

悲しいかといわれたら、初めて帰省した時のきょとんとした顔をされた時のほうがよっぽど悲しかったよ。

それよりも親や妹のことが心配ですらある。

 

この写真は3年くらい前。だいぶ白髪が増えてきたころ。これはこれでツートンカラーでかっこいいと思っていたよ。

いつまでも家にやってきたばかりの仔犬のように見えていたけれどとっくに人生の先輩になっていたんだよなあ。またね。

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今日の好きな曇り空。

こういう華やかでも明るくもないが、妙に心奪われる景色はたまにある。

 

フラットなようでいて繊細なグラデーションを持つ雨雲をどうにか突き刺しておけないかという戦いは、カメラを手にしてからずっと続いている戦いでもある。

これはカメラとレンズ自体の性能もいるしポストプロセスの技術もいるし、撮影体験としてもむずかしい。しばらくは続くテーマでもありそう。

 

拡散されdefuseされた自然光は、晴れ渡った時の強いコントラストとは違う、じわりと包み込むような感覚を呼ぶ。

 

最近

ウマ娘

サクラバクシンオーで初めて育成完了した。

URAファイナルズで出遅れてしまい3位に終わってしまったものの、目覚ましでやり直したら危なげなく勝てた。当初はサイレンススズカと競っていたけど、終盤で固有スキルが発動して抜き出した時はめっちゃ興奮した。

『うまぴょい伝説』を歌っているのもかなり感慨深くて、確かにこれはハマるなあ。

動きが本当に細かくて飽きない。

教習所生活

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仮免をゲットした。第二段階の教習に入っている。路上に出る時はまだ緊張するけれども、着実にマイルストーンに近付いている実感も増しているので楽しい。

感じている雑多なこと:

  • 車線変更や右左折時の3点確認 (リアミラー、ドアミラー、目視), 重要性はわかるけれど基本的に走行しながら行うもので、本質的に脇見運転と変わらなくて怖い
  • 速度維持が難しい; アクセルペダルはエンジンの出力を操作するものであって、速度を直接操作するものではないと捉え直してからコツは掴めてきたけど足は疲れる
  • それなりの速度で歩道から出ようとする車を発見するとかなり怖い (相手が安全に行動するという前提は置けない)

知識

今に始まったことではないけれど、インターネットはインスタントに耳年増を生産しやすい構造をもたらしているし、自分もだいぶ耳年増な面を持っているなと感じる。

最近だと車に関してだとか。

身についていない知識をあたかも自分が修得しているつもりで暮らすのは危ういと思う一方、何をもって修得できていると判断すれば良いのか? という疑問もある。

修得しているかできていないかという二元論ではなく、自分がどの程度理解しているか・理解が至っていない範囲は他にどれだけあるか、などと照らし合わせて細やかな現状認識を持つのが健全だろうと思う。

なるほどこれはかなり大変で手間もかかって目を逸らしたくなる。

ニュートラルさ

たとえば「二元論」を指して「デジタルさ」という修辞が用いられる場面がある。大抵はネガティブな文脈で扱われることが多い。

これも危うい感じがする。話の本筋とは別のものごとへ不用意な印象を与えるというのは、修辞の濫用だと思う。

昔に知り合った人がよく言っていた「過不足ない表現を目指す」というのがこれらに対する態度を端的に言い表していて好きだし自分もとるべき態度としている。

怒り

耳を疑うようなできごとを目にすることが特に絶えない。自分にとってもそうだし友人・知人にとってもそう。

怒りや呆れ、絶望を感じるできごとも少なくない。

今の自分は「怒りなど感情を動かすべきではなく、理性的に批判するのが自分にとって一番良い」と考えている。けれど何を批判するかっていう取捨選択をする際にどうしても自分の感情を濾過する必要があり、これに向き合わないといけないのはたいへんに気力がいる。

だから最近はかなり多くのことを見なかったことにしている。この姿勢はゆくゆくは自分や多くの人の首を絞める可能性があると感じているが、とかく情報量が多すぎて耐えきれそうにない。

『抱えきれないほど小さな自分の中』とは言ったものだけれど、はたして器に余裕が生まれることはあるんだろうか。

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スマブラ

よくフレ戦してもらっている方から「だいぶ崖が上がりにくくなった」と言ってもらえて成長の兆しが見えて嬉しい。

配信されてからずっとホムヒカ使っているしもうメインは変わった。

最近考えていること

  • ヒカリを出している時のニュートラルの差し合いが弱い (安い) ので要改善; フォックスとか速くて斜め上から差し込めるファイターに対する答えを持てていない
  • 上手い人相手だとホムラでもバ難になりがち; 撃墜力はあるけれどロイとかみたいに機動力や発生に恵まれているわけじゃないので、崖や復帰を狩りきる意識が重要で詰め将棋の要素がある、そのスキルが足りていない
  • 理論上、ガン不利が付く相性はほとんどないはずだけど勝ち切れていないファイターや人間性能が追い付いていないのでめげずにがんばろう; CF, インクリングあたりは徹底すれば五分以上つくはず
  • 対カズヤは地獄門でとかく壊されがちなのでベレスを当てる