先に行くもの

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

実家で飼っていた犬が亡くなったと連絡をもらった。火葬は済んだとのこと。

もうそろそろかもと連絡が来て1週間くらいのこと。

 

自分が13か14くらいの頃に飼いはじめた。享年15〜6歳くらい。名前は自分がつけた。

その前に犬を飼っていた時のことなどから、自分は新たに飼うことに反対していた。にも関わらず飼うことが決まって、だいぶ怒ったおぼえがある。

それでもやってくることになったのだし、とせめて名前はつけさせてもらうことにした。それがどういう意味を持っていたのか、もうよく覚えていない。

 

室内飼いだったので大きな病気も怪我もしなかったけれど、いかんせん内弁慶な性格でよく吠えていた。

 

大学受験浪人していたころは、日中一緒に過ごすことがとても増えた。

自分がいるから構ってもらえると思っているけれど、こっちは勉強したいので毎日少し構って、飽きて寝始めたら勉強する、という流れがいつのまにかできていた。

それに味を占めたのか、自分が家を出るまでその生活は変わらなかった。

 

家を出て初めて帰省した時、どうにも見慣れない人間がいるぞってかんじの吠え方をされた時は、実はけっこうショックを受けた。

その頃にはもう良い年だったし、半年以上見かけていなかったら匂いも忘れ死んだのだと思ったのかもしれない。

荷解きをするうちに思い出したようだったけれど、ああ、そうか、家を出るってこういうことなんだと思わぬところからジャブが繰り出されたという印象が強い。

 

それから飼い犬や家族と顔を合わせる時間は指折り数えるほどなんだろうなと意識するようになった。

 

最近はめっきり寝ている時間も多く老け込んでいたけれど、大きな病気もせず概ね健康だった。

 

いろんな計算が狂ったのはここ1〜2年のことで、コロナ禍で帰省もままならぬ状態になった。

そうこうしているうちに、ついに冒頭に至る。

 

たぶんいろんなリスクを冒してでも看取るという選択はあったはずではある。

でも寿命を全うしようとしているだけだし、生者が勝手にゴタゴタするっていうのも単なる自己満足だよなって考えはじめると、今生を終えようとする飼い犬を言い訳にして本当に満足できるか? っていう疑問が湧き立ち、間違って高齢の親や生まれたばかりの妹の子に何か起こしてしまったら自分は一生飼い犬とそのできごとを結び付けて考えるだろうと想像できた。

それって本当に愚かで何の意味もないことで、けっきょく死にゆく者にとってはまったくの些事でしかない。

 

なので帰らないということを親に伝えた。そして今に至る。

 

今、まったく感情は凪いでいて、実感が湧かない。帰省したらいる気もする。

悲しいかといわれたら、初めて帰省した時のきょとんとした顔をされた時のほうがよっぽど悲しかったよ。

それよりも親や妹のことが心配ですらある。

 

この写真は3年くらい前。だいぶ白髪が増えてきたころ。これはこれでツートンカラーでかっこいいと思っていたよ。

いつまでも家にやってきたばかりの仔犬のように見えていたけれどとっくに人生の先輩になっていたんだよなあ。またね。

f:id:aereal:20210817192101j:plain