リピートアフターミー

見聞を広めるよりかは深める方が好きな性質だと思う。

深めるというのは少し気取っているかもしれない。同じ時間があれば、新しいものを見たり触れるような広げるために使うよりかは、見知ったもののまだ見ぬ面を知るために使いたい。

旅行や娯楽観賞によく表れているな、と常々思う。

ところで自分はWebエンジニアで、その文化圏には「新しいものごとを好きでいることは尊い」という価値観があると思う。
これは、他の分野に比べてWebが若く絶え間なく変化するので、新しく生まれた概念やツールをキャッチアップすることがWeb分野を捉え続ける重要な姿勢だ、ということだと思う。
だからといって新しいものだけを追い続けることだけに意味はないだろうから、変化に弄ばれずにうまく波に乗るべし、ということが本質だろう。

これもあくまで価値観であって、備わっている方がが生きやすいよ、くらいに気楽に捉えられていればいいけれども、それが欠けていると自分が何か決定的に劣っているように思えてしまうことがある。
だから、好きでそうしているはずなのに「もしこの時間で新しいところへ行ったら」「新しいものを見ていたら」と卑屈になったり、ひどい時には費した時間が無駄だったのではないかと落ち込むことまである。

だから、この気持ちを紐解き、認めたい。

まず、繰り返し訪れたり見ることで、好きなものが評価されたり豊かになってほしいから。
旅行で訪れれば食事をするし、映画や美術館にはチケット代がかかる。サブスクリプションサービスでアニメを見ればPVなどのKPIが僅かであっても増える。
それは自分が好きだという評価をフィードバックすることにほかならないし、世の中は大抵そうしたフィードバックが集まるとより持続しやすい仕組みになっているはず。
だから、自分のお金や時間という資産で、好きなものたちが続いてほしい、という投資的な見方がひとつ。

もうひとつは、自分の理解を深めたいという根源的な知的好奇心を満たしたいから。
たとえば同じ旅行先であっても、曜日が違えば街を歩く人々の様子は変わるだろう。同じ作品でも、初見では理解が追い付かなかったが、二度目は咀嚼した理解をもとに目のやりばも変わる。他人の感想を聞いて意識を向けることもままある。

特に旅行する時は平日に訪れるのが好きだ。休日には気付かない通勤通学の賑いを知れたら、そこにいる人々の生活が垣間見えるかもしれない。
あるいは密かな作品の繋がりや小さな演出に気付くこともあるかもしれない。

理解が立体的になれば、自分の時間やお金をかける対象も増えるかもしれないし、自分の好奇心はより豊かに満たされることだってあるだろう。

こうして省みてみれば、ただ好奇心を満たしたく、その方向性に自信がないだけなのかもしれない。