金曜ロードショーでみた。映画館でみたかった。リアルタイムでみたかった。ほか、続々と後悔の念が浮かびあがって参ります。「なんかみんな盛り上がってるから、やめよう」とか、そういう理由で見ないのは、ほんと、損するとおもいます。でも、エヴァを4回くらい観て、財布の中身が辛かったという事情もあるし仕方ない。
ケンジと先輩が指を絡めるシーンがエロいとか、カズマが女の子だったらいいのに、とか、いろいろ思うところはあるけど、総合的におもしろかった。
おもしろいとおもった点はいくかあって、ひとつは、主人公であるケンジが主張してこないこと、主人公然としていないことかもしれない。「みんなが主人公」のノリが強い作りだったし、実際のところ、先輩、カズマ、侘助、栄おばあちゃん、誰を「主人公」と称しても問題ないとおもう。
暗号やセキュリティの強度とかには主眼を置いていないから、ああいう風にエンターテイメントとしてぼかされているので、「そういうもの」と納得するものなんだろう。
あと、「ぼくらのウォーゲーム」と比較されるのも仕方ないとおもう。タイトルからして、比較されることを覚悟している気がする。
デジモンに対する思い入れを抜きにしても、「ぼくらのウォーゲーム」のほうがおもしろいとおもっていて、いくつかその理由を書いておく。
- ISDNの「ピーキョロロロロ」とかパケット通信とか、世界観を構成する重要な要素をきちんと描写している
- データの海に入り込む瞬間の、心臓が止まりそうな緊迫感が伝わる演出
- 頭脳戦におけるインパクトのある機転
「ぼくらのウォーゲーム」の時代設定は2000年前後なのだけど、その当時のインターネットというインフラを丁寧に描写していて、適度な現実とのリンクが図られているのだけど、「サマーウォーズ」はそれがされていない。
はやく言えば設定が未来的。設定が未来的であることは問題ないのだけど、そういった現実感を損ねる可能性がある設定は、より丁寧に現実とのリンクを提示しないといけないとおもう。たとえば、ケンジのアバターが作業しているシーンをズームアウトしていって、やがて物質世界のケンジが映される、といった演出があってもよかったようにおもう。
物質世界としての現実とネットのリンクは、現実感というものが繋げていて、その現実感が損ねられている世界観の提示の仕方は問題だとおもう。
あと、「ぼくらのウォーゲーム」にあった、太一とヤマトがデータの海(ネット?)に入り込むシーン。これは思い入れ補正と言われても仕方ないのだけど、ああいう、息が詰まるような、「え、まじで? まじでいっちゃうの?」みたいな静かに高揚感を煽る演出があってもよかったかなあ、とおもう。ただ、ケンジが鼻血を垂らしながら暗算するシーンはそれと言えるかもしれない。
最後の「機転」について。「ぼくらのウォーゲーム」では、オメガモンがディアボロモンを圧倒的優位で倒していくけど、世界中から送られるメールで回線が圧迫されて、速度が出ない、という窮地に立たされるというシーンがある。そこで、光史郎がメールをディアボロモンに転送して、逆に相手の速度を落とす、という機転を働かせる。このシーンは痛快だった。
あるいは、カットされた内容でおれの不満点、疑問点が解決されているのかもしれないので、近い内にDVDでも見ようとおもう。べつに「ぼくらのウォーゲーム」より劣っているとか、そういう話じゃなくて、単に「好きだ」というだけだ。
ただ、あらゆる点で重ねておきながら、「ぼくらのウォーゲーム」をオリジナルでやりたかったのか、それとも別のことがしたかったのか、いまいちはっきり見えてこなくて、それがどうにもしっくりこない、という話。