Nintendo Switchを買った

ポケモンの新作が出るということでついに買った。

Nintendo Switch本体について

ガジェット的に見るとUSB Type-Cをうまく使っていてよく考えられているなあと感心した。

つまりドックはHDMIやUSB Aなど互換性を重視したインターフェースを備えつつも本体とドックはUSB Type-Cという統合されたインターフェースだけで繋がるという、下手なPCよりよく考えられている。

携帯ゲーム機とみるとバッテリは保たないという印象が強いけれど、USB Type-Cという充電しやすいインターフェースを備えているのでさほどネガティブさはない。

コントローラとか、ミニマルな状態から盛りに盛った状態まで拡張できるというのは、なんか心が踊る。

むかしゲームキューブにくっつけてゲームボーイアドバンスを繋げられる機器があった気がするけれど、ああいう流れを感じる。スタイリッシュじゃないけど盛り上がる。

ポケットモンスター Let's Go! ピカチュウ・イーブイ

これをやりたくてSwitchを買った。買ったのはイーブイ版。

まずイーブイがあざと可愛い。あとから知ったけれど悠木碧さんが演じているそう。

だいたいピカチュウ版に準拠したシナリオや出現ポケモンになっているけれどプリンやピッピはフェアリータイプがついているなど、第七世代相当にアップデートされている。

ただし特性はなく持ち物も持てないので、主に戦闘面ではわりとFRLGですらない本当の初代に近い。イシツブテに抜群を当てても耐えらえるんだろうなあと思ったら一撃で倒れてあれ? となることしばしばであった。

戦闘はそういうかんじで戸惑うこともあるけれど、本編はものすごく楽しい。

据置き機クオリティでカントー地方を歩きまわって、しかもそこにポケモンが歩きまわっている。しかもこの動きがよく練られていて、アーボは蛇っぽく這うし鳥ポケモンは空を飛んでいる。ケーシィは慎重に近付かないとワープして消えてしまう。

一部を除いて野生のポケモンとは戦闘にならずポケモンGo的な捕獲アクションだけになる。これがまあまあテンポが良いし、草むらを歩きまわっているポケモンと出会うだけでもかなりテンションがあがるので捕獲するのが苦じゃない。

正直、これまでのシリーズでは野生のポケモンとのエンカウントって面倒だったけれど、ピカブイはそんなことはなかった。

実利的なことをいうと捕獲に必要なのはボールと自分の腕だけなのでさくさく進めて強いポケモンを捕まえてトレーナー戦闘を有利にするというのがやりやすい。

ノスタルジーを差し引いてもすごく楽しいし、Switchでカントー地方以外のポケモンも見てみたいなーと思った。

あーあ、疲れているから休めるためにさっさと寝たほうがいいと頭ではわかっているけれどビールが飲みたくなってしまった。だから飲んだ。あと疲れているときは気が滅入りがちだからやっぱりお酒は飲まないほうがいいとはわかっている。けれども!

この前見た展示のことがずっと引っ掛かっている。

自分はなぜ写真を撮るのか。しかもスマフォで気軽に撮るという楽しみ方を知りながらわざわざでかいカメラを持って、写真を撮るためだけにどこかへ行くのはなぜなのか。アマチュアとして中途半端な向上心で撮り続けるのはなぜなのか。

そんなことはわかりきっていたはず。自分の心が動いた瞬間を残すため。ずっとそれだけが目的で、それが楽しみだったはずだけれど、すっかり写真を撮る行為で自分の心の揺れ動きにレールを敷いていた。そういうことに気がついてしまった。

情けないとか恥ずかしいとかそういう気持ちがずっとずっと燻ぶっていて、うわー! ってなった。これはうわーっていう気持ちの供養。

うわーっていう気持ちの中には、新しいものを求める気持ちより、知ったものを味わい続けたいという気持ちが強いことに対するコンプレックスもある。

高山、金沢、宇治。ここらへんは好きで何度も行っている。まだ行ったことのない場所もあるけれど、既に自分が好きなところのまだ見たことないものを見たいという気持ちが、どうにも攻めきれない好奇心の成れの果てのような気がして、いったいなんなのかという気持ちがずっとある。

こうやって書いてみれば言うほど劣等感を抱くほどのことじゃないじゃん、そもそも好奇心に優劣とかあるの? って思うけれど。

他人と比べてどうって考えたわけじゃなくて、もっと鋭敏でいられないか、見落としているものはないか、ってずっと焦っている。気持ちいいものを求めるこの気持ちは、最上のものを求めているがゆえではなくて、単に身動きしたくない怠惰から起こったものじゃないか、って焦っている。そうなったら、何もない自分は本当に何も手に入らなくなる。

でもそんなに悪いことばかりじゃない。

この前、高山に行った時のことは強く残っている。秋晴れの1日目と雨に煙った2日目。雨の日は、特に何かの皮が剥げたような、取り繕われた何かが取り払われたような気もして、楽しくて仕方がなかった。

雨に濡れて艶が宿り、曇り空でディフューズされた光がまわった景色に、純粋な、自分が求める根源的な美しさを見た気がする。

誰もいない境内の中を歩きながら、この瞬間を独占できた喜びと、この瞬間が置き去りにされず誰かに見つけられたことに安心する。

尾花大輔 その成れの果て

尾花大輔「その成れの果て」 : 東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)

 

同僚に勧められて見てきた。

本業がデザイナーの方で物を撮った写真を使った空間デザインの展示ということでいわゆる写真展というかんじではないかもしれないが、それ目当てに訪れて楽しめるくらいには強度のある素敵な内容だった。

 

在廊されていたので少しだけお話をさせてもらい、感銘を受けることもあった。

「よくわからないものが好きで、そういうものを撮っていたいんです」というようなことを仰っていて、はっとした。

自分もかつてはそういうことを考えていたはずだけれども、パーソナルな感動をより広く伝えたいと考えるあまりいつのまにか逆転してしまい、広く伝わる写真を、という思考に囚われていたことに気が付いた。

もちろん伝えることを諦めず伝え続けたいけれど、そのために自分の琴線を歪めるのは違うな、と思った。

展示されている写真はiPhoneで撮れているということも、実感としてよく写るカメラだということはわかっていたものの実際プリントアウトして眺めるのに耐えているのを見ると舌を巻いた。

 

こじんまりとした空間で、それが思いがけずほどよい距離感で心地よかった。

在廊されているということで内心気が重かったけれど、他人の存在をこんなに身軽に感じられるのも不思議だなと思う。

こういう規模の展示は安心できるので、いつかやりたい。