言葉、表情、所作

この週末はいくらか人と話す機会があった。

最近は魅力的な話し方について考えることが多い。

たとえば自分の話し方は、相手によってとても魅力的に話せている実感があるときとないときがある。たいてい魅力的に話せているだろう、という感覚があるときはとても楽しい気持ちで満たされている。どんなに取るに足らないような話題であっても、ただ発話するという行為に悦びを感じ入るときがある。

一方で興味を引くような・引かれるような話題や相手との会話でもまったく魅力的に話せないこともある。そういうときの会話の雰囲気はつまらない。どれだけ刺激的な内容の話であっても退屈で時間の経過が遅い。

自分が楽しく話せているときや、自分が満たされる話し方をする人と、そうでない人や場合をよくよく考えてみると、適切な抑揚のある発話ができていると、とても魅力的な話し方ができているような気がする。感情が抑揚として声に表れると途端に会話が生き生きとして緊張感が生まれる。

考えてみればあたりまえだ、会話とは同期的で刹那的でまるっきり生き物だ。始まった次の瞬間にはもう終わってしまって、お互いがお互いの言葉を噛み締める余裕はない。だからその声色は、それ自体として雄弁であるべきだろう。

最近、楽しい会話ができていないなあ、という鬱屈とした思いがある。たぶん、強く気を遣う必要のない関係にある人がいないからだとおもう。少なからず警戒心みたいなものがある。「良い顔をしたい」みたいな、違うんだけれど、強迫観念じみているという意味ではそのような。

もっと、考えて喋ろうとおもった。