見栄

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

見栄を張りたがっているなあと自覚する瞬間が最近あった。

きっかけはカメラで、スチルはそこそこ楽しく撮れているけど最近のカメラはどこもかしこも動画機能の充実を競っていて、動画をまったく撮らない自分としてはスチル関連の進展がないことにほんのり退屈している。

動画撮影に興味がないわけではないが、アマチュアが個人として楽しむ題材が思いつかず、やりたくても手のつけようがないというかんじ。

ふと思い立ってClaudeに「スチルでこういう題材をとっていて基本的にブログに上げる程度なんだけど、そういうかんじで動画のネタってどういうのが考えられる?」って壁打ち相手になってもらい、いろんなジャンルを知ることができた。

これを踏まえていくつか気付いたことがある。

まずこういう「本当に右も左もわからないから道案内して」って相談を他人に投げることに抵抗を感じている。

これは単に無知を晒すのが恥ずかしいという感情以上に「あまりにざっくばらんとした質問をするのは知的じゃない・思考放棄である」という価値観に支配されていそうとも思う。

実際、自力で未知を少しずつ分解する姿勢自体は悪くないと思うのだけれども、今回のことに関していえばあまりの未知の大きさに手が止まってしまっていた。

手を止めるくらいなら恥を偲んででも・信条に反してでも前進するほうが良いはず。

しかし見栄を捨て去るというのも難しい。見栄を張りたいという気持ちは向上心にも繋がるので、これを完全に失うのもよくない。

ファジィな表現しかできない程度の理解の段階から指針が得られるのは自分にあっているし偉大な技術だと思う一方、けっきょくその指針が示すものが何なのか・どこに向かっているのかを批判するだけの知識や理解が生成AI以外に立脚していないのであれば溺れる寸前だとも思う。

少なくとも第三者と話すだけの自信を得るための最初の一歩を踏み出すため以上の依存をしていないか?という自省・批判は欠かしてはいけないし、それをするための環境として他人と話す機会を得るのは大切……という循環した話になってきた。

そういうわけでS1R IIを買いました。