この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

絵とかの制作物をAIの教師データにするのはいかなる権利の侵害である・ではないといった議論、本質的にはまったく新種の問題ではなく既知の問題が急速に影響を及ぼしているだけだよな、ということは感じている。

つまり人間も既存の制作物を「学習」してさらに再生産してきた。それは既にインスパイアとかなどと呼ばれている。

AIといっても自律的に振る舞いを根本から変えるほどの自立性は持っていないので現時点ではあくまでソフトウェア技術の一種でしかない。 つまり、その技術を用いる人格が存在しており、それら人格の権利を制限するという話になる。

ここでいう「AI」と人間は学習方法でしか区別できず、恣意的に線引きをしても「AI」が閾値をぎりぎり超えない程度に「愚か」に振る舞うことで権利の制限を免れるだろう。

あるいは一切の区別を設けずに「学習」を制限するのは単純明快だが、単に愚かでしかない。