この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

最近は仕事で人間のことばかり考えていて、マネジメントではないがチームを良くするには……みたいなかんじで考えていて、あれこれやってみて、もともとそこそこ良かったものをまあまあ良くする、とかはできたけれど、いまいちなところを良くする、みたいなレベルのことはできていない。

期待する成果としてはなにかがバーンと良くなるとかだけど、人にはたらきかけて変化を起こそうとするとき、自分のアプローチが間違っているときと、アプローチは正しいがまだ結果が生じていないときとあるはず。

また、自分のアプローチが間違っているというのも正しい間違いと一概に言える話ばかりでもなく、その人に対しその時の状況でこのアプローチは適切ではなかった、みたいなことが考えられる。

とにかく不確実性の塊というかんじ。

 

で、その不確実性に対して疲れきった。

同じくらい不確実性と向き合う必要があるならば、いま見ているサービスを良くするという方向のほうがいいなと思った。自分は作るものに対してであれば情熱を傾けられるし、非情にもなれる自信がある。

だから、サービスを良くするためにできることを第一に考えて実行していくことに集中し考えるリソースを投入しようと思う。

そのためにまわりの人間に対して最適ではない行動をするかもしれないが、それは諦める。

サービスを良くするために最高の方法を考えて実行するので、それに合わないのであれば、いまのチームとサービスの関係性の中でその人の楽しさとか働きやすさみたいなのを最大化することはむずかしそうなので諦めていく。

すべてを捨てるわけではないが、優先付けの順序の後ろのほうにずらしていく。

 

人が楽しくやっていけているかどうかは、たしかにわかりやすい面ではあると思いつつも、自分にとっては仕事をする楽しさとは作っているものが良くなって、その結果、人々がハッピーになる。そのハッピーになる人々の中に自分も入っていてラッキーというモデルなので、まず作っているものを良くすること、それに従属するかたちで人の幸せがあるなと思った。

これが常に最高だとは考えていないが、とにかく今のままで良いわけでもないので、ある種の非情さでやっていくことにする。

自分は弱い人間なので、非情だが正しいはずだと鼓舞しなければとてもやってられないので、やっていくのだという気持ちを埋めてやっていく。

1ヶ月後、3ヶ月後、1年後にどうなっているか、日記を読んだら答え合わせができるはず。