この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

平安神宮を初めて訪れた。

なんでか八坂神社と平安神宮がごっちゃになっていて行ったことがあると思っていた *1 のだけれど地図を見たところ行ったことがなさそうだ、ということで天気にも恵まれたので行ってみることにした。

日曜日の昼下がり、観光客が多かった。家族連れも多かったように思う。

何度か京都市動物園には行く縁があって、神宮道を北上しながら、ああ、ここを通って動物園に行ったなあ、ここが神宮道だったのか、なんてことを思い出していた。忘れてしまっていたようなことを少し思い出す。

平安神宮は平安京の大内裏を縮小し復元したものということだけれど、意外とこじんまりとしているというか、おお、と感じ入るほどのものでもなかった。平城京跡の広さが想像を越えていて、その広さが古い時代のスケールだな、って思って妙に納得したことがあったので、拍子抜けといってもよかった。

平安神宮は広かったので GXR でいくらか撮った。なかなか好きな写りのするカメラで、抜群に使いやすいというわけではないけれど、しかし不思議と手に馴染む、というカメラでたまに持ち出して撮ってみてウンウンと頷く。28mm というのがまた新鮮。なかなか気持ちよいので、次は広角を買うだろうなあ。

平安神宮近くのセブンイレブンでブラックサンダーを買う。散歩している時に糖分が欲しくなると必ず買って食べる。

どうにも物足りなく静かなところに出たい、と思ったので粟田神社を目指す。坂のある粟田口は立体感があって前を向いても後ろを振り向いても、どこか遠くて儚い感じがした。

粟田神社の参道はきつい坂道で下から見上げると遠く、人の気配を感じさせず静かだった。

休憩所には近所の人たちだろうか、暖をとりつつ団欒していた。知らない人が賑っているのを見るのにあまりいい気分にはならない狭量な心だけれど、不思議とそれは微笑ましく思えた。穏やかでそのまま続いてほしいと思った。

坂の上からは京都市街を見渡すことができて思わず溜息が漏れた。平安神宮の鳥居もすぐ目の前に見えた。吸い込まれるようにシャッターを切る。

まだもやの薄い、完全な冬の空気に満たされた風景を見下ろしながら、差し込む西日を浴びて立ち尽くしていた。

*1: たぶん八坂神社の敷地から地続きに円山公園が広がっているので勘違いしたのだと思う