悪いこと、つらいこと、悔しいこと、そういうことをきちんと記録してきたし、同じように良いことも記録しようと思うので書くことにする。
恋人ができた。できた、というより、ある人との関係に「恋人」という名前がついた、というほうが正しいだろう。
自分自身のことについてさえうまく折り合いもつけられぬまま生活する日々が続いており、ましてや他人のことなんてろくに考えられず、むしろ意識的に考えないようにしていたので、こんな風になるとは自分でも驚いている。
その人の生きる姿を見る度に、自分もこういう風に生きたいと思い、またこのように生きている人が折れることなく幸せになってほしいと願うようになった。
自分がやろうとしていることがうまくいくだろうか、とか、正しいのだろうか、とか、悩むこともあったが、決して器用ではないが確かに足をつけて笑って生きる姿を目にして、自分にもやれそうだ、と思ったのでこのままやっていることを続けよう、と決意することができた。
こちらの気持ちを伝えたそのときにはすぐに関係は変わらず、自分の中で納得したし、またある種の決意をもってしたことであるから後悔はなくともやっぱり自分から何か動いてみても良いことはなかったな、とそのときは落ち込んだりもした。
そういうことがあったから、何も変わらぬままでこのままぽつりぽつりとたまの機会に顔を合わせて話を続けられたら、という気持ちでいたのだけれど、先日、会って、話をしてきちんと返事をいただくことができた。
返事というのは、つまり改めて関係を恋人と名前付けしよう、ということだった。本当に良かった。良かったし嬉しい……。
このような関係を始められることはもちろん嬉しいし良かったが、それとは別に、自分が動いてみて手応えのあるポジティブなフィードバックがある、という体験が得られたこともたいへん嬉しいし尊ぶべきことだと思う。
なかなか手応えが掴めず、もどかしいことばかりではあったけれど、ちゃんと、なにかしてみればしてみただけのなにかがある、というだけでこんなにも嬉しいものなのだ……。
実際的で細かなことはいろいろ考えなければならないし、距離のとりかたもまた改めてやりなおすことになるけれど、お互いの気持ちと少しの偶然と縁ではじまったこの関係を大切にしていきたい。
相手はきちんと日記を書くことの意義を理解しておられて、実際に書いているということもあってとても安心できる。その人を知るということがコミュニケーションに依存していない、というそれだけでとても大きな安心感がある。
きちんとひとりになれるからこそ、二人で話したりする意義があるはずだ。
そういったことを考えて幸せを感じつつ、きちんと生きていかなければなあ、ということを、春すら忘れて汗ばむほどの陽気の異様な日に思った。