さらば京都、さらば近畿

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

無限に色々あったこの度の引っ越しもついに佳境を迎え明日には京都を発とうとしている。

引っ越し作業自体は完全に量も時間も見積もりをミスって大変なことになってしまった。幸いなことに入居には間に合うことになったので、想定より出費がかさんだことと疲労が溜まったことくらいで済んだ。
よく考えてみれば2回ある引っ越しのどちらもまともとは言えず、地元から大阪に出た時はほとんど地元で家具類を買って新居に送ることにしたし、大阪から京都に引っ越した時は全て捨てて同じように新しく家具を一から揃えた。だから、大きな荷物を伴う移動をやったことがなかったしなんなら荷造りらしいこともしたことがなかった。
しかし家にあるものの大半は日常的に使っているし在宅勤務なので机とか椅子とかディスプレイとか大きいものはギリギリまで動かせないから、休みをたくさん使わないと今までより大変そうな気がする。
引っ越しについてはあれこれNotionにまとめていったからついでにKPTもやって今後に活かしたい。

荷物も全て運び出し掃除も終わった旧居は8年前に内見しに来た時と同じくらい音が響いた。カーテンを取り外して開け放たれた窓からは見える景色は8年前と違い、隣家の存在感が増している。
壁が薄いとかウォシュレットが付いていないとか今のライフスタイルでは手狭とか、色々不満はあったもののこうして後にしてみると思い出深い。
多くはないが家に呼んだ人たちのことを思い出した。インターネットの友人、当時の恋人、妹、母。

掃除が終わってホテルに帰る道すがら御池通を歩いたらやっと前職をやめた実感が湧いてきた。前職を辞めても普段から出歩く時に通ったし。

京都が好きだろうか。どうだろう。自分の税金の使途が明らかにこちらを向いていないという印象が強くて税金の納め甲斐のない自治体だと思う。だからといってふるさと納税という仕組みを使って外に納税すれば負のスパイラルに陥るしなと思ってやっていないけれど。
それに思い起こせば20代のほとんど、前職のキャリア全体を過ごしたこともあって、京都という街への愛着なのか、そこで出会った人々・物ごとへの感傷なのか恐らく区別できない。
それでも京都に住み始めて数年の間は日本史の教科書でしか知らなかったような場所をたくさん見つけられて、20数年生きてついに日本に生きているという実感が得られたと思う。北海道は近代まで日本史にほとんど登場しないので世界史も日本史も大して距離感は変わらなかった。

京都にやってきた知人友人と出かける時に案内する時が好きだった。観光地はたくさんある中で、どこを選ぶのか・どう点と点を結ぶのか・あるいは外すのかといったことを考えている時、普段から自分がどう京都を見ているのか表れる気がした。

神社に行くのも好きになった。最初はなんとなく有名なところを巡ってみるだけだったけれど神社建築にも興味が出てきた。旅行で出かけた先の土地で京都では見ない造を見ると楽しくなった。
巡る時にはcho45さんの日記で次の候補を見つけたりもした。

自炊を全くしないので外食中心の生活も長くなった。好きな店がたくさんできた。

散歩が好きになった。当時の同僚と烏丸御池から京都駅まで40分くらいかけて歩き、そこからJRでほぼ反対の方向の家へ帰るといったこともよくやっていた。
地下鉄やバスが微妙に不便なので歩いて移動するのが当たり前だった。週末に4時間くらいずっと歩いているということもあった。
格子状の中心部を、今日はどの通りから入るか・どこで曲がるか・朝に通るか夜に通るか、幾通りにも試した。

鉄道に乗るのが好きになった。小さい頃、家から5分くらいの踏切で毎日のようにJRが通っているのを見に行くのが日課だった時もあったので素養はあったのかもしれない。
特急かという速度で走る新快速、ビワイチができる湖西線と琵琶湖線をたたえるJR。大阪に引っ越した時に通勤でお世話になって以来マルーンの落ち着いた雰囲気が心に留まる阪急。カーブが多く眠気を誘う線区と大阪近郊での複々線のメリハリがついて豪華な特急に乗るのが週末の楽しみになった京阪。小椋池を眺めながらいつも歩いている京都市とはまた別の京都市が見えてくる近鉄。専用軌道と車道を行き来するところが地味にかっこいい嵐電。雪の貴船を見に行く時にはよくお世話になった常にきらら系のラッピングをやっている叡電。逢坂山のヘアピンと急勾配・併用軌道とてんこ盛りの京阪京津線。
詳しい人に首都圏でいろんな鉄道乗り潰しに付き合ってもらったことがあるけれど、直通が多くてカラーがはっきりしていないことが多く、便利ではあるだろうけれど関西みたいにあの駅に行けばあそこの車両だけがいつもいるっていう風景が結構好きだな。

自転車に乗るのが好きになった。クロスバイク・ロードバイクというスポーツサイクルの楽しみを教えてもらった。バスも地下鉄も不便なのでちょっと遠出する時には自転車が便利だった。
わりと平坦な土地なので走っていて楽しい。すっと思い立って終電後に終わるレイトショーを見に自転車でT JOY京都に行くこともあった。深夜のしんとした南の道を走っている時間は映画の余韻に浸るに十分だった。

響け!ユーフォニアムに出会えたこともよかった。京都に住んでいなくても出会っただろうし好きになったと思うけれど、あんなにも「そこにいる」という感覚を呼び起こさせるのはその地にいるからというのは少なからず関係しているんだろう。
本当に人生の過ごし方の大きなところを変えられた。もし響け!ユーフォニアムに出会わずに学生時代に辞めたきりだったホルンを再び吹くことがなかったら、学生時代に諦めたらそれきりという扱いのまま死ぬまで絶縁したままだったろうと確信めいた予想がある。その縁を取り持ってくれたといっても過言ではない。おかげでリズオフに参加できたり得られた縁もあった。
何より楽しむ楽器が増えたということは人生の楽しみが増したということに他ならない。

あとはやっぱり前職の同僚だろうか。ご飯を食べに行ったり飲みに行ったり、退職したからというだけではなく世相さえも変わってしまったので本当に遠い日のことに思えるけれど。
人間関係をスーパーリセットし続けてきた自分が最長で8年近くも関係を保てているというのはやっぱり特別だと思う。仕事仲間という程よい距離感が良かったにせよ、他愛もないことを話していた時間の楽しさとかは今でも名残惜しいしまた話したい会いたいと思うのは、自分にとってはかなりびっくりするようなことだ。

こうして書き出してみてどうだろうか。京都が好きかどうかは明らかにならなかった、無理そう。でも京都で過ごした時間は好きだった。
もう二度と京都の土地を踏めないというわけでもないけれど、この時間を再び手に入れることはできないんだよな。それは京都を離れるかどうかによらないけれど。
だから他にできた好きな街で好きなように暮らしていきたいと思うので離れるが、そっちでもいい感じだといいね。さらば。