HTTPというプロトコルはシンプルかつ拡張可能で、クライアント・サーバ共に幅広い実装が存在している。
僕個人の勝手な思想として、HTTPというプロトコルは古くから営まれてきた人間のコミュニケーションのプロトコルに対するカウンターカルチャーのようなものとして半ば自然に発生したのだとおもっている。
「常識」といった曖昧で表現力に乏しい貧相な語彙や、「空気を読む」といった実装が非常に困難なプロトコルがいかにコミュニケーションの妨げになるか、といったことを風刺するためにデザインされたのではないか、とさえおもう。
HTTPというシンプルに設計されたプロトコルによって何かを為せている人間として、コミュニケーションを行う際に明瞭かつ整理された語彙と実装が易しいプロトコルを用意することは礼儀であり矜持であり絶対の義務である。