社会適合受難

この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

ずっとアルバイトが続かなくて、何度も面接を受けて採用が決まって出勤するものの数日で退職、ということをくりかえしていて、ほんとうにおれは社会不適合者の道を進むのか、と恐しくなっていた。

しかし、いまのアルバイトは特に問題なく続けられている。

なにがちがったのだろう、と、ふと今日の勤務中にいろいろ考えてみた。

高校を卒業してすぐはじめたけっこう有名な喫茶店のバイトはすごくきつかった。初日からレジに立たされたし、ドリンクや料理をつくらされたりもした。そういう作業自体のたいへんさより、後ろで見ている上司の「こんなこともわからないの?」という先輩の言葉にいやな汗をかいた。

けっきょく大きな失敗をしないうちにやめたのだけど、たぶん「大きな失敗をしたときに何を言われるのだろう」という恐怖に負けたのだとおもう。

それから、そういう「失敗したときに待っている大きな咎め」がこわくて仕方がなくて、一時期、アルバイト先の職場で上司の顔を見るだけでおなかが痛くなってこわくなって逃げ出したくなることが続いた。

あと、めんどくさい経歴(高卒無職)と大学進学の意思があることで長期勤務不可ということで、面接のときに嘘を吐くか正直に言ってハネられるリスクを上げるか、ということを選ばされることでかなりストレスを感じたこともある。

で、この時期になっていよいよお金が必要になってきたこともあって短期アルバイトをやる決意をした。

当初は短期アルバイトということでふらっと入ってお金稼いだらおさらば、程度にしか考えていなかったのだけど、短期で入ったことが悔やまれるくらい環境に恵まれている。

きちんと研修をしてもらえるし、繁忙期の短期アルバイトということも手伝って積極的にバックアップする姿勢を見せてもらって、ほんとうに心強い。

最初の数日は不安なことも多かったのだけど、だいぶ慣れてきた。勤務時間も無理のないように調整してもらって、あとの不安要素といったら雪が降ってからの交通手段くらい。

「今時の若い子」というくくりで、「根性がない」などと言うのはどうかとおもうけど、すくなくとも自分自身に関してはなにも否定はしない(し、肯定もしない)。

ただ、言葉で表せない不安や恐怖は他者に伝えることができないし、他者に伝えることができないという事実がさらに不安や恐怖を加速させる。それを救うには、全知全能の神様が不可知の能力をもって取り除くくらいしかないだろう。神様がいてもいなくても、そんなに暇ではないだろうから、誰しもが救われる保証などないし、なら救われること、不安や恐怖を取り除くことを期待してはいけないだろう。

ただ、「あなたが不安や恐怖を感じていることは知っている」というだけで、言い様のない孤独は薄れることもあるだろう。

自分自身の体験を拡大して考えるならば、「今時の若い子」は、口下手なわけでも、心が弱いわけでもなく、情緒豊かで豊かすぎるがゆえに情報量の多い感情に飲み込まれているだけなんじゃないか、とおもった。