TK from 凛として時雨 katharsis Tour 2019 @ 福岡DRUM LOGOS

2015年のSOSOSツアーで来て以来のライブ、福岡自体はYAPC以来。

家を出るのが遅くなりタクシーをつかまえて京都駅に着いたら新幹線は軒並50分遅れとか。思わず鼻で笑ってしまった、こんなことってあるのか。

窓口で聞いたところ:

  • このあと (50分後〜) 京都から出るのぞみ (予約したやつより早い便) に乗って一本で博多へ向かう
  • このあとすぐ京都から出るこだまで新大阪まで向かい、臨時のさくらに乗り換える

……というオプションを提示してもらった。遅れによってはこのあとののぞみが臨時のさくらを追い越す可能性もあるので念の為のぞみの指定席も確保しておきますねと気を回していただけた。鉄道が遅れるとお互い殺伐とするイメージがあったので親切にしていただいてありがたい。たぶんローシーズンで人が少なかったからであろうとは思う、なんにせよ運が良かった。

会場には開場前ぎりぎりに付く予定だったけれども遅れたので既に開場していた。そういう時に限ってチケットの番号は38番とけっこういい。まあそういうこともある。

帰りの新幹線の時間が怪しかったのであらかじめ物販でkalappoだけ買っておく。Tシャツなどは大阪や東京でもよかろう。

意外とはやかったみたいで中にはあまり人がいなかった。DRUM Be-1もDRUM LOGOSも真ん中あたりに段があり高くなっている。背が高くない人間にはありがたい。

15分くらい押してから客電が落ちて開演。“phase to phrase”など最近やっていなかった曲をやってくれたり初演からしばらく発表されていない新曲が続く。“Crazy Tampern”では2Aの後のキメでピアノが派手なトリル→グリッサンドをキメてめちゃくちゃかっこよかった。定番曲もしっかりてこ入れされて嬉しい。

2カポで聞いたことあるようなないようなイントロ。すぐにはわからず「“an artist”だっけ……?」と混乱したけれど16ビートにいきなり割って入る深いディレイのかかったギターで“invalid phrase”だとやっとわかった。

原曲より半音上がったD-morになるだけでかなり印象が変わるしわからなくなるものだなあ、と思った。

オリジナルキーで弾く時は半音下げチューニングで、今回はレギュラーチューニングだったんだろう。そのまま3カポの流れで“Shandy”.

一足先にアコースティック編成でお披露目した“memento”はギターソロの力強さはバンドならではだったし、それに続いた“katharsis”も心無しerror for 0より熟れていた曲がする。

アンコールは“last eye”から。意外とバンド編成でやるのは久しぶりではないか。ここまで新曲をやらないので、ああやらないのかと消沈しかけていたけれど“Fantastic Magic”をはさんでのMCで「最後に新曲をやります」に周りも自分も湧いた。

歌に励まされるとか気にしたことがないけれど、TKがこういう曲を書くということが興味深いし、なにより展開がドラマティックで劇画的。

大サビの「Wake up 動けない自分は」から「僕は奇跡を掴んだSpider 僕は光を盗んだSpyだ 世界を睨む不自由の女神よ 支配は失敗だ」は力強いレトリックにあふれている。女王蜂との対バンで聞いたときからなんだか言い様のない高揚をおぼえて感極まわる。はやく音源で聞きたいなー、たのしみ。

良かったこと

職場で褒められた

振る舞いについて、ロールモデルにしてますといった声

服を褒められた、suzuki takayukiのシャツを衝動買いしたけど着る場面がなかったのでやっと着れたのも嬉しいしいいですねと言われたのも嬉しい

時雨がなんと今年もツアーをやる、嬉しすぎてツイート見て声出た

toya.hatenablog.com

めっちゃわかるし、先輩として参考になるーと思った。

幸いにも心身を壊すほどではなかったが、自分はわりと神経質なほうで、大袈裟に言えば自分で自分の首を締めて勝手に苦しむタイプだったのが、ここ最近は自分を解放できている実感がある。

解放できているというか、主に仕事で忙しくしすぎて「勝手に外圧で首が締まるから、自分で締めている場合じゃない」って気がついた。

自分の言葉で書いてみる。

  • 他人に期待しない
    • 家族含めて他人とは基本的に利害が一致しないと思うほうが得
    • だからこそ自分に利してくれたらちゃんと感謝する
    • でも貸し借りみたいな概念にナイーブになりすぎない
  • 客観的な指標だけを信じろ
    • 疲れてくればくるほど自分の直感や主観は役に立たない
    • 体重計に乗る、健康診断や定期検診を受ける、サイクルコンピュータを見る
  • 困ったら「どうせいつかは死ぬのだから」と唱える
    • 意地悪な人に出会った時
    • 不運が重なった時
    • 物質的な恵みを受けた時
      • 拘泥しすぎてはいけない、いつまでもあると思ってはいけない
    • いずれ死ぬことは決まっているのだから、それを急ぐこともないか、と考える
  • 時は金なりの意味を考える
    • 100円節約するために30分余計にかかるスーパーに行く価値はあるのか? といったことを常に考える
    • お金も立派な問題解決の手段

楽しく生きていきたいね。

2019

2019始まって20日が経ったのに日記をひとつも書いていない。よくないことだね。

年始は帰省して、妹と旦那さんとスマブラをした。ささやかだけれども幸せだった。陳腐だけどNintendo Switchじゃなきゃこんな風に三人で遊べなかったから、今までできなかったことができるようになった、そんな素晴しいプロダクトだと感じた。

だって、そうなることを願っていたにせよ、妹が旦那さんにLINEしたら「スマブラしにいきたいからそっち行っていい?」ってこっちの実家にやってきた。妹も10年ぶりくらいに家庭用ゲームを遊んだって言っていた。

どうぶつの森をやっていたから、妹はしずえを使っていた。

それから今回の帰省は妹が結婚してから初めてだった。妹は地元を離れ、家には母ひとり。帰省のタイミングをあわせることがより強い意味を持つようになる。

三が日も明けないうちに妹が帰って、母が冗談まじりに「寂しくなったねえ」と零していて、それとなく思っていたことだけれども、はっきりと三人で顔を合わせられる時間の砂時計が落ちはじめたことを自覚させられた。

そんなものは、そもそも僕と妹が生まれた瞬間に落ちはじめていたんだけれども。

だから、仕事ついでに趣味で書こうと思っていたコードを書くことも、けっきょくしなかった。できなかった。儀礼的な振る舞いとか感傷とか、そういうものに対して陰陽つかず鈍いが、いま自分の顔を向ける先はMacBookじゃないことはよくわかっていた。

とはいっても実家にいるあいだずっとそんな感傷的な気分になっていたわけでもない。

妹も母も今のところ元気だし。母はヘビースモーカーだしよくビールを飲んでいるのに健康診断はすべて正常値だという。ザルなんじゃないかと思っているけれど、まあそれが事実ならこれ以上ない。

そんな風に妙におっさんくさいことを考えた帰省も終わり関西に帰ろうとしたら吹雪で新千歳に6時間以上閉じ込められた。

18:50発の予定が新千歳を離陸したのは日付が変わった0:30前だった。新千歳から関空行きのピーチの便はその日に5便あり、午後の4便は予約していた便を除いてすべて欠航しており、運が良かった。

15分経つ度に「もうしばらくかかります。予定は不明です」という旨のアナウンスがかかった。その度にTwitterでツイートして気を紛らわせた。さすがに22時を過ぎたあたりではアクシデントをおもしろい出来事として扱うのにも疲れていた。

KindleとSwitchがあったから段々と空席が目立ちはじめたロビーで時間を潰すのに苦労はしなかった。

また21時に離陸できなかった時点で関空から終電がなくなったことは確定していたので、遅れに遅れて関空着が午前2時半ごろになったのも不幸中の幸いだった。

関空で24時間営業しているプロントで1時間ほど時間を潰して大阪行きの高速バスに乗ると、ちょうど始発が動いている時間に着くので、結果的にはロスがかなり少なく済ませられた。

疲れきっていたものの、大阪行きの高速バスに乗るのも、年始の日曜日なのにやけに賑わっているJRの始発に乗るのも初めてだったから、ぼんやり変なことが重なるものだなあとかろうじて楽しめた。

それから、2019年にはたぶん京都を離れる予感がしている。職が変わるかどうかはわからない。

レッスンを受けている先生が3月で退職されること、おみくじで大吉を引いたことなど、いろいろなできごとが少しずつそういう方向へとバイアスをかけている。

京都はおおむね良いところだけれども、最近はオーバーツーリズムが行き過ぎているし、単に6年以上住んで飽きてきた。飽きてきたというのもちょっと違う気がする。新しい土地に住んでみたい。

住んでみたいのは金沢と広島。どちらも街の中心に川があり空港が近いこと、広島は四季を通じて気候が穏やかなこと、金沢は自治体が都市計画に自覚的でオフィスビルの数・入居率が共に京都より健全であり住みやすそうなこと、などの点に魅力を感じている。

職を変えるとなると東京ないし首都圏も入るかもしれないが、2020年を前にして東京移住はいろんな意味でダサいので避けたい気持ちはある。とはいえ、どうしてもやりたいことがあれば、それはそれ。

あとはアウトプットをする。SoundCloudには3トラック置く、写真を写真集のようななにかしらのパッケージで売る、ということを定量的な目標とすることにした。いま決めた。

写真を売るっていうことにそんなに意味はない。自信とかそれで食べていこうとか、そういったことではなく、発信する自分にとっても見てもらう誰かにとっても、僕の写真を見ることについて自覚的になってほしい。

うまく言えないけれど「aerealの写真を見る」という行為がもっと見る人にとってインパクトのあるものにしたい。それは写真集というWebから本という媒体の変化であったり、購買という明示的な価値の交換であったり、いろいろ考えられる。写真展もやってみたいが、とりあえずポートフォリオ的なものがあるほうが話がはやかろうと思ったこと、写真集を作るほうが自分ひとりでできることは多く楽そうなので、まずこっちからやってみようと思っている。

まずはクロアチアとフィンランドの写真をまとめるくらいのところから。

音楽については、できればM3にも出たいなと思っている。とりあえずはSoundCloudに置くところから……。