1コーラスだけピアノで“ten to ten”を弾いた。後半は指が回らないので練習中……。
エレピをMIDIキーボードとして接続し、Logicのソフトウェア音源で弾いたのを録った。
1コーラスだけピアノで“ten to ten”を弾いた。後半は指が回らないので練習中……。
エレピをMIDIキーボードとして接続し、Logicのソフトウェア音源で弾いたのを録った。
最近は仕事で人間のことばかり考えていて、マネジメントではないがチームを良くするには……みたいなかんじで考えていて、あれこれやってみて、もともとそこそこ良かったものをまあまあ良くする、とかはできたけれど、いまいちなところを良くする、みたいなレベルのことはできていない。
期待する成果としてはなにかがバーンと良くなるとかだけど、人にはたらきかけて変化を起こそうとするとき、自分のアプローチが間違っているときと、アプローチは正しいがまだ結果が生じていないときとあるはず。
また、自分のアプローチが間違っているというのも正しい間違いと一概に言える話ばかりでもなく、その人に対しその時の状況でこのアプローチは適切ではなかった、みたいなことが考えられる。
とにかく不確実性の塊というかんじ。
で、その不確実性に対して疲れきった。
同じくらい不確実性と向き合う必要があるならば、いま見ているサービスを良くするという方向のほうがいいなと思った。自分は作るものに対してであれば情熱を傾けられるし、非情にもなれる自信がある。
だから、サービスを良くするためにできることを第一に考えて実行していくことに集中し考えるリソースを投入しようと思う。
そのためにまわりの人間に対して最適ではない行動をするかもしれないが、それは諦める。
サービスを良くするために最高の方法を考えて実行するので、それに合わないのであれば、いまのチームとサービスの関係性の中でその人の楽しさとか働きやすさみたいなのを最大化することはむずかしそうなので諦めていく。
すべてを捨てるわけではないが、優先付けの順序の後ろのほうにずらしていく。
人が楽しくやっていけているかどうかは、たしかにわかりやすい面ではあると思いつつも、自分にとっては仕事をする楽しさとは作っているものが良くなって、その結果、人々がハッピーになる。そのハッピーになる人々の中に自分も入っていてラッキーというモデルなので、まず作っているものを良くすること、それに従属するかたちで人の幸せがあるなと思った。
これが常に最高だとは考えていないが、とにかく今のままで良いわけでもないので、ある種の非情さでやっていくことにする。
自分は弱い人間なので、非情だが正しいはずだと鼓舞しなければとてもやってられないので、やっていくのだという気持ちを埋めてやっていく。
1ヶ月後、3ヶ月後、1年後にどうなっているか、日記を読んだら答え合わせができるはず。
とにかく楽しいことを思い出そう活動。
4月1日に新宿であったイベント。
1話から8話までの内容を各キャストが演じ、弦楽四重奏 + フルート + ピアノにアレンジされた劇伴を演奏する、という内容。
朗読とあったのでもうちょっと静的な感じかとおもいきやわりと本編に近い演出だったので驚いた。
OPとEDのライブもあった。
週末、妹と母が京都に来て止めるので本格的に片付けて掃除した。
物が増えてきたので棚を買い整頓したついでに時雨のCDコーナー作って、いいかんじにディスプレイしてよしよしとなっている。
棚買ってCDやらBDを移動していいコーナー作った。裏は時系列順
Instagram post by @aereal • Apr 13, 2018 at 1:41pm UTC
植物園に行ったとき北山駅でたまたまポスターを見てローマ三部作をやることを知ってその場でチケットを買って行くことを決めた。
京都コンサートホールに行くのははじめて。ぐるぐる回りながら2階に行くんだけど、床が錯覚を起こしそうな模様だった。
コンサートも音源もそんなにたくさん聞いていないので比較しようがないが、手放しで良かったと思える演奏だった。
ローマ三部作はかなり規模の大きな編成を求めるのでステージがたいへん賑やかだし、打楽器も活躍するのでビジュアル面のインパクトが強い。
おまけに『松』と『祭』はバンダもある。ヘッドフォンで聞いていると単に遠く聞こえるだけなんだけど、実際にホールで聞くと立体的というほかない響きがあって本当によかった。
『主顕祭』のトロンボーンソロは、もうちょっと酔っ払ったかんじ、しつこいくらいのポルタメントのほうが好きではある。
アンコールはポンキエッリの『ラ・ジョコンダ』から『時の踊り』。CMかなにかで聞いたことあるなって気付いた。