わりと奴隷根性が強いので、タダ働きに対する抵抗感が少ない気がする。

でも、それを自分がやってしまうと、正当な対価を与える・得るという文化を損ねてしまうことになる。正当な対価が得られないと奴隷労働やぼったくりが蔓延してしまう。

奴隷労働をしている人間は「自分はいいから」というつもりでいても、「正当な対価をまわす」というサイクルを壊してしまっているので、その人も立派な加害者だ。ブラック企業の話に似ている。

奉仕の精神と奴隷の精神を違えてはならないとおもう。

悲しいことに多くの人が考える奉仕活動というのは奴隷労働だ。

ボランティア活動の啓蒙が嫌いなのは、自発性に拠る活動であるという言葉の興りを蔑ろにしているからで、啓蒙すべきなのは目の前にある問題ととりうることのできる策についての理解、知識だとおもう。

例えば、東日本大震災の被災地のガレキ拾いのボランティアをしよう、という活動があったとして、それ自体はなんら問題のない、むしろ公益性に基づいている素晴しい活動であるとおもう、しかし「あなたもボランティアに参加しよう」というのは、違う。

被災地の現状を知ってもらいたい、というのであればまずはちゃんと対価を支払うべきであるとおもう。「自分たちの活動を知ってもらう」という利益を得るわけだから、得た利益や奪った時間などに対して対価を支払う、という誠実な態度を見せないといけない。

基本的にボランティアというのは、各々の自発性に基づいて行わなければならないとおもうし、それを損ねてボランティアと称するのはもはや奴隷買いにしか見えない。

得たものに対して正当な対価を支払う、ということ、言うほど実践されていないようにおもえる。

正当な対価が支払われていないものに正当な対価が与えられるようにするには。