高山

連休の谷間にあたる1日と2日にせっかく休みをとったので高山に出かけた。いい時期だし、前回訪れた時は天気も悪く時間も足りず不完全燃焼だったからまた訪れたいとは思っていた。

京都から高山まで

名古屋まで新幹線で出てから特急ひだに乗り換えた。普段仕事がある時よりよっぽど早起きした。

名古屋駅で在来線乗り換え口を出たら図らずしも『君の名は。』と同じアングルだったのでちょっと感動した。せっかくなので味噌カツサンドを買った。

「特急ひだ」と表示されていて「ワイドビューひだ」じゃないことに気がつきつつも表記揺れだと思い込み、深く気にせずグリーン車をとったけれど、中間に連結されていてちょっと戸惑った。

高山1日目

天気がよくて気持ち良かったけれど、気温のわりに日差しが強くて歩きまわっていたらかなり疲れた。


筏橋を渡ってから南下する。途中で杉箇谷神明社に寄った。

まだ桜が咲いていた。




念願の日枝神社。一の鳥居を抜けた先の傍の車道が『氷菓』のシーンままだった。ここにタクシー止まったなあ、と妙に感動した。

杉がたくさん植えられていて日差しが遮られたおかげでだいぶ涼しく、初夏の香りが満ちた境内でしばらく休んだ。人の往来はあるものの混雑とはほど遠く、京都の喧騒が遠く感じられた。

川を渡って、また歩いてさんまちの方に戻る。けっこう暑かったのでバスで戻ることも考えたけれど、ちょうど行き過ぎてしまったところで次は1時間半も後だったので諦めた。

再び20分以上歩いて筏橋の西詰に戻ってきた。


橋の近くで昼食を摂って休憩。日差しはどんどん強くなってきてかなり疲れた。この日差しのまま真夏になったら大変なことになりそう。

昼食を摂った店は店員が繁忙に慣れていなさそうな印象で、料理を運んだり待っている客を案内するのに行ったり来たりしていて、その熟れていない風が新鮮だった。飛騨牛バーガーは素気なく出された。

日陰で休んだものの思ったより疲れていて、もうしばらく別のところで休もうかと思うけど手頃なところも見つからないので、宮川朝市を歩きながら北にある桜山八幡宮を目指すことにした。

目指すと決めて顔を上げれば向こうに巨大な鳥居が見える。


「Tシャツ屋」の看板に「やばい」を書き足したい。


「だがし」と来たら「かし」まで書きたい。


小川の傍には桜がまだ咲いていて、すこしだけタイムスリップしたかのよう。



飛騨一ノ宮まで足を伸ばしたいけれど八幡宮を出てからゆったり歩いていたら目当ての電車を逃がしてしまった。

これも縁だと思うことにして「かつて」へ。

https://www.instagram.com/p/BTlH59ABKY4/
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2階の窓際の席に通してもらった。普通の喫茶店よりも静かで雰囲気のあるにも関わらず、畳が敷かれていて座りこむことができるからか、不思議と落ち着けた。

窓から向かいの建物に達筆で「産科婦人科」と書かれていてやけに立地の良い病院だなと思っていたら、単なる作品で建物とは関係なかった。

再び高山駅へ戻り、飛騨一ノ宮へ。この写真は飛騨古川の方を向いているので、実際に乗った電車は背中側に向かう。

無人駅で人もいないけれどきれいにされているためか、不思議と寂しい印象はなかった。少しずつ傾いてきた連休前の平日。


水無神社を目指して歩く。目的は神社だけれど、道中、宮川の川辺が美しい。



連休中に祭りがあるようでその設営がされていた。人のいない神社、ただ祭りの予感だけがあるというちぐはぐな様子がおもしろい。特に夕暮れ時の境内にできあがった即席のステージは西日に透ける薄膜の神秘さと裏腹に俗世めいていて笑えそうなほどだった。


神社を背にして東のほうへ出てみれば、文字通り桜の花道ができていた。

駅に戻る道すがらふと北を向けば遠くに冠雪した山を望んだ。国見山だろうか。

旭川も京都も盆地だけれども、これほどまでに表情豊かに山に囲まれる景色は見たことがない。

高山に戻ってから一旦ホテルにチェックインし、シャワーを浴びた。

せっかく遠出してきたので奮発して飛騨牛を食べようと思い立って店を探し、出向いた。

https://www.instagram.com/p/BTlpO86Beeb/
飛騨牛ステーキすごかった……

店員さんに「旅行ですか?」と話しかけられて一言二言の会話をしたけれど、さりげなくてまったく嫌なかんじはしなかった。

高かったしお店の雰囲気もそれに見合ったものでありながら堅苦しいところはなくて落ち着いていただくことができた。こんなにおいしいステーキは初めてだった……。

ホテルに帰る道程はすこし肌寒かったけれど春より前に戻るほどではなく、オレンジ色の街灯に静まり返った夜の空気で酔いを覚ましながら、ここで生まれ育つことを想像してみていた。

4時くらいにものすごい吐き気に襲われて目が覚めた。半年に1回くらい吐き気で目が覚めている気がするけど、食べたものが悪かったこともない気がしていて体をどこか悪くしているのか疑うけど、スパンが空きすぎてよくわからない。

寝惚けた頭で近くのコンビニで前にも買った胃薬を買って飲んだら楽になった。けっきょく寝たのは5時すぎくらいで正味5時間くらいしか眠れなかったので眠い。

ハイソな私立高校に入学する事になる。

芸能人の知り合いばかりいるような人たちが通っていてかなりアウェイ。

入学式で高そうな服を着ている子と仲良くなって一緒に美容室まで行くことになる。

自分もカットしてもらおうと案内されるのを待つが一向に案内されない。

通りすがりに美容師が「切ってから一ヶ月もしないでくるとか嫌味か」と零すのを聞いて「そういうつもりはなくてただの付き添いです」と答えるがずっと冷や汗をかいている。

4月12日

前日の夕方から、頭どころから体もろくに動かなくなってきて、いよいよこれはもうだめだなと思ったので休みをとった。

何をするでもなく、昼まで寝て、起きて掃除をして、ちょっとピアノを弾いて、夕方に堀川通の桜を見て、うどんを食べる。それからスタバかどこかに行って本を読み、寝る。

やけに透き通った西の空を見ながら、平日の夕暮れの放つ異彩は十何年前から変わっていないことに気がついた。

4月15日

寝付きが遅かったことに伴い遅めの起床。ひととおり練習して、そのあとのことは忘れた。

夕方に不思議な充実感をおぼえ、まだ土曜日であることをちょっと喜んだ。

4月16日

月曜日は雨の予報で、相当強く降りそうだから桜もいよいよ見納めかと思い、鴨川沿いを散歩した。花見をしている家族連れが多く、牧歌的だった。

京都御苑でぼーっとしていたら枝垂れ桜が見頃だったので日が暮れるまでゆっくり写真を撮り続けた。

夜、読書ついでにごはんを食べにいったお店、窓際の席は窓が開け放たれていて、春のほんのり涼しい夜風を楽しんだ。

自分が何を目指しているか端的な言葉で表すと、クリエイティブ、クリエイター、そういう言葉が当てはまりそうだけれど、実際に使ってしまったらその言葉から生まれる自意識で潰れそう。

厳格に言えば「消費者に甘んじない」くらいだと思う。それを端的に表す言葉が思いつかない。

クリエイティブ、創造的であることと、消費者であることは排他的ではないかもしれない。創造的な消費者というのも成り立つか?

クリエイティブという言葉についてまわる箔のようなものも、自分の志すものと違う気がしている。
自分はただ減っていく残高を見て焦っているだけで、だったら「貧乏性」くらいがお似合いかもしれない。

ただ生きているだけで浪費されてしまう時間ひとつとっても恐しいから、1を費して2を得たい。
万事がそうはいかないので、日々、不毛な生活をしている罪悪感に追い詰められる。

時間や価値観を切り離したところで休みたい。