東京で友達と会ったとき、頻繁に顔を合わせるわけではない自分を指して友達と表現してくれて、なんだかそれが嬉しかった。

もちろん自分も数多 (というほどでもないが) いる知人より親しく感じているけれど、それでも友達と呼んでいいかわからなくて少し躊躇していた。

まあ、物理的に近くにいるので顔を見たいと言ってくれた相手を、友達と呼ばないのは、それはそれで不自然が過ぎるだろう。

声をかけてくれたことも、実際に会って話せたことも嬉しかったけれど、それが一番嬉しかった。友達はなるものでも、作るものでもなく、呼ぶものだ。

nuitoの復活ライブがメトロであったので見た。月並だけどCDと違わぬ・それ以上の緻密さで圧倒された。

曲間のブレイクで煙草を吸い始めたり、NeKoMaJiN vsのアウトロで客を上げてギターを持たせてメンバーを交代させたり、シリアスで緊張感はあるんだけど楽しいライブだった。

喫煙スペースの近くでやたらと煙が目にしみたけど、傘立に入れていたビニール傘に大きな穴があいたまま雨の中を歩いて帰ったけど、楽しかった。まさかライブを見れる日が来るだなんて思っていたなかったので本当によかった。

6/11

しばらく持ち出していなかった DFA★ 70-200mm を持ち出すという下心のみに突き動かされて植物園に出かけた。

紫陽花園を目当てにやってきたようなものだったけれど、実際見頃だった。わざわざ植物園に足を運んで紫陽花を見る意味といえば、西洋紫陽花に尽きると思う。

普段軒先で見ることのないような鮮やかな赤い色合いを目にすると、もしもこんな花が六月に咲いたとしたらあまりの華やかさにますます梅雨が憂鬱になるだろうなと思う。それくらい六月とは思えない爽やかな晴れ間が似合っていた。

紫陽花園の近くで葉ごと爪楊枝で貫通したかのように実をつける植物を見つけた。

植物園ではほとんど200mmで撮っていた。絞りはF5.6でピントを合わせるだけ。浅い被写界深度とか手ぶれのことを考えてF5.6ほぼ固定にした。31mmをつけているときよりよっぽどスナップじみているのはおもしろいことだと思う。何倍も重いし大きいレンズをつけている時のほうが、素早く意思決定して動いている。

撮っているときはあまり意識しなかったけれど、改めて見てみると200mmの被写界深度はとても浅い。

これら写真日記の写真はすべて DFA★ 70-200mm で絞りはいずれも F5.6 だけどよくボケている。

ピント面前後のディティールが得られるようにという意図で何枚か F11 くらいに絞って撮ってみたけれど、F11くらいだとまだ浅くて思った描写が得られなくて悩ましい。

圧縮効果を得つつパンフォーカス的な描写がしたいときはセンサーサイズが小さいほうが有利なこともあるかもしれない。

ひととおり植物園を撮り歩いたあと、ぶらぶら散歩してスタバに入って本を読んだあと久しぶりに外食してハンバーグを食べた。童心に帰る気がする。

風邪がひどくなってから一週間が経って気怠さはなくなったけれど、咳と鼻づまりはぼちぼち。

高校生のころは風邪をひいても元に戻ると思っていたけれど、最近は体調を崩すと不可逆な変化が訪れているような気がする。HPダメージではなく最大HPダメージを受けるような。

6/6

昼にホテルのフロントへ電話しようというリマインダの通知がきたけど今日も無視してしまった。電話することに対する障壁が高い。長時間 (5分近く) ブロックされるし平日だと通話しても邪魔にならないロビーまで降りたりこちらの就業時間外と先方のオフピークの重なる時間を見計う必要がある。本当に手間がかかって嫌になる。

夜、週末に撮りためた写真の現像をして帰る。