大きな失敗をすることは、失敗して失うこと以上にいろいろなことを学ぶ機会が与えられるので、とても有用だなあ、と素直に考えられるようになった。(「失うこと以上に得られるものが多い」と言い切ってもよいのだけど、学ぼうとしなければ得られるものはないから、「学ぶ機会が与えられる」というほうが誤謬がないとおもう。)

大きな失敗をするからには、大きな挑戦に出ないといけないわけで、そういう「大きな挑戦と失敗」というのは、時間や環境や金銭、そして人的ネットワークといったあれこれが潤沢にならないと起きないと思い込んでいた。

ふとおもったのだけど、恋というのは体験するために必要なリソースが少なく済む、とてもコストパフォーマンスに優れた体験なのではないか。正確には必要とする外部のリソース(金銭だとか環境だとか)が済む、ということだけど。

しかし、恋というのは内的なリソース、つまり感情だとかMPでひとくくりにされるようなものを激しく消耗するので、足踏みしがちなんじゃないか。ちょうど、汗をかいてヘトヘトになりたくないから、という理由で運動を嫌がる人がいるように。

つまり、恋をすることの意義は、失恋して傷心することにあるんじゃないか、ということ。そんなことを考えたりした。