アウトドア・リーディング
椅子持ち出すことで外で本読む体験がよくなった。あと春に買って以来家を出たことのなかったHelinoxの椅子が文字通り日の目を見た pic.twitter.com/8crpfZcHc8
— 青木華絵 (@aereal) 2020年11月21日
連休は春に買ったHelinoxを持ち出して京都御苑でひたすら本を読んでいた。
ベンチでも別に苦ではないと思っていたけれど、長時間読んでいて疲れないので良い椅子は良い。
外だとちょっと疲れたら歩きまわって休憩できるしなにかと勝手が良い。
夕方になると日陰は寒くなってくるので、日向を求めて移動していく自分が我ながらおもしろかった。
周回遅れ
『安達としまむら』の原作を読みはじめたらすっかりはまって今は7巻を読んでいる最中。
名前を知ったのは今回が初めてじゃなくて、ちょっと前からAmazonのおすすめやらで目にはしていて、でも特別手にとってみようと思わずここまできた。
手にとらなかった理由はいろいろあげられて、漫画じゃなくて小説だったこと、いわゆる百合ジャンルということは知っているが飽和していて玉石混淆であること、などなど。
小説はなんというか鑑賞する時のエネルギー効率が漫画やアニメに比べて低い気がする。裏を返せばじっくり楽しめて、そういうところが好きなところでもあるけれど、自分の中に前評判のない作品を小説という媒体で楽しもうとするのは、なんというかかなり障壁が高い。
玉石混淆というのは言うまでもない。
あと名前をおぼえていなかったというのはあるかも。「あさがおと加瀬さん。」と勘違いしていたし。
まあ、何を気にしていたかといえば、自分にはdigる・開拓するという気概が欠けているなあ、ということを改めて実感したから。
それで何が困るということもないけれど、積極的にそうしているわけではなく怠惰でそうしているだけなので、なんというかここから老いそうだなという漠然とした不安がある。
言い換えれば、周囲が気付いていない自分にとって良い作品をいちはやく見つけたいという気持ちはないしそれに引け目も感じない。そういうのは得意な人がやれば良いなと思う。
自分が一番恐れるのは、感度が下がって好きなはずの作品を見逃すことで、そういう意味では『安達としまむら』はけっこう危うかった気がするし、アニメ化というタイミングで知ったのならそれで良いという見方もできる。
長い目で見れば自分の時間と興味さえ捧げれば出会えるはずだし、焦ることなくアンテナの感度を保ち続けるのが一番だなあと思いはじめた。
何が言いたいかといえば、それくらい『安達としまむら』は良い作品であるということ。
嘘くさいくらい小春日和
今週は天気が良い。なんなら気温が高くて暑いくらい。小春日和。昨日、シャツで出かけたら暑かったので半袖Tシャツにレインパーカーで出かけた。
あまりに天気が良くて、良すぎて、冬の歩み寄りを勝手に見出してしまい焦りはじめた。なので今週は昼休みに京都御苑に出かけている。明日は雨っぽいので今週は今日で納まりかな。
家から京都御苑までは自転車で10分くらい。40分くらいはゆっくりする時間があるのでベンチまで歩きがてら写真を撮り、ベンチで30分くらい本を読む。日向のベンチ。30分もいれば暑いけれど、それでもそう遠くないうちにこの日差しが恋しくなるから浴び溜め。
一昨日までは『追走五断章』を読み返していた。
米澤穂信さんの作品はやっぱり好きだな。文章にくどさがない。
この作品はバブル崩壊直後の武蔵野の古書店に勤める休学中の学生が主人公で、不景気のあおりをくらってかなり暗い世界観が続いて爽快感など何もない。しかしそういう暗さを押し出すような文じゃないから、話の筋が紛れない。
米澤作品に長野に特急に乗っていく話があったなあいうことは覚えていて、てっきり『真実の10メートル手前』に収録されていると思い込んでいたけれども、実際はこの作品だった。
昨日からは『安達としまむら』を読み始めた。
百合作品の有名どころとして名前は聞くけれども読んだことはなくて、Amazon Prime Videoがアニメが配信されていてそっちから入り、何の気なしに原作を買った。ら、これがけっこう良い。
文章にラノベ特有の癖が少なくて、読んでいて気が散ることが少ない。
良いなあと思っているのは、役割語が少ないので現代日本の高校生の話として違和感なく読めるところ。章ごとに一人称が入れ替わる構造を活かして、場面ごとに語り手以外の心情が明らかになるペースを緩やかにし、読み手にも二人と同じくらいのスピード感で物語を受け止められるところ。
安達としまむらという二人の関係性の機微が主の物語なので、一人称視点を活かし語り手に信頼できないところを持たせて見えない部分を残してどう関係性が変化しているのかを少しずつ提示していくのがうまいなあ、と感じる。
安達は、先に変化が起きて、けれども自分の心の動きに戸惑うラブコメの主人公ポジションだけれども、ではしまむらはどうなのかというとかなり聡い物の見方をする人で、安達の変化に最初期から感付いている節はあるけれども意図的に無視しているように見える。
自分は、二人がどうなるかより、安達との関わりがしまむらをどう変えるのか・あるいはどう変えないのかがすごく気になった。
アニメもコミカライズも今のところけっこう良いかんじだと思う。アニメはちょっとアニメっぽい演出が多いかなっていう感じはする。
電撃の方のコミカライズはかなり引き算されているし、自分が原作を読んで感じた間に近い雰囲気が残っているのでかなり好き。
そもそもなんで『安達としまむら』を知ったかというとAmazon Prime Videoで『ゆるキャン△』を全部見終わって次に何を見ようか探していたら辿り着いたため。
『ゆるキャン△』も良かったなー。こんなご時世だしソロキャンやりたくなってきた。自転車とも写真とも相性が良い。
引っ越しはする予定なので予算はとっておきたいのですぐは難しそうだけれども。