駐車場に停めていた自分の車が操作を誤った他の車にぶつけられて事故に遭った。
修理にかれこれ2ヶ月ほどかかり、4月上旬にやっと戻ってきて今に至る。けっこう激しくぶつけられており、ボンネットとフロントバンパー、フロントライトが交換となった。修理総額は100を越えている。
ちょうど年度末の車検ハイシーズンと被って工場の空きを待つかたちとなった。
なお交換すると修復歴がつく部分を交換したことにより修復歴がつくことになった。これによる評価損について別途話を進めている。
事故当時は雪が積もっていたが、駐車場内は舗装路面がかなり露出しており特段支障になることはない印象だった。むしろ走行軌跡からすると自車の周りの20cmくらいの雪壁に乗り上げてなおアクセルを踏み込んではじめて接触するので、単に操作を誤ったという主張以外にも原因・遠因はありそうに見えるが、詮なきことなので忘れる。
2ヶ月ほど代車生活になった。ダイハツのロッキーがやってきた。小柄でありながら、軽よりパワーがあるので高速に乗っても静かで、それでいて軽さから発進も軽やかで売れるのも納得。
一方で、60km/h以上に加速しようとするとキックダウンしないと速度が上がらないし上がるまでも遅い。パワーが無いのは良いとして、全体的にフィードバックが曖昧模糊としていて楽しくないし、何より不安が煽られる。
疲れてきて集中力が下がってきている状態で街中を走っているとブレーキとアクセルのどっちを踏んでいるのかよくわからなくなることがあった。もちろん踏み間違いはしていないけど、ブレーキもアクセルも遊びを越えた効きはじめが急に効くので緊張感がある。
ペダルが吊り下げ式であること、ペダルレイアウトが劣悪なことの組み合わせが本当に危うい。
あと車線逸脱防止システムがかなりおしおき的なのもかなりイライラさせられた。
車線から逸れようとするとステアリング操作に介入してこれを防止するもので、まず体感した限りではこのシステムの動作が逸脱かそうでないかの二値で判定されているらしく、逸脱と判定されたら即介入される。
そういうものじゃないの?というとそうばかりでもなくて、たとえばMAZDA3では逸脱のおそれがあるが軽度でマージンがまだ残っている時はステアリングの振動と画面表示で警告し、さらに逸脱のリスクが高まるとステアリング操作に介入される、という風に多段階の動作をする。
また、そもそもシステムが車線を誤認することや回避などやむなく逸脱に近い動きをしなければいけない時もある。
偽陽性が生じるのは仕方がないとして、偽陽性が生じると即ステアリング操作が入るのはかなり嫌な動きだし怖い。一番嫌なのは、車線を誤認した時で、リスクの低い直線を走って相対的にリラックスしている時にいきなりガッとステアリングを切られると驚くし怖い。複数車線ある道路で隣のレーンに他車がいたら接触のおそれもある。
ほとんどMAZDA3にしか乗っていなかった身からすると「運転支援・安全支援システムは入っているに越したことはないだろう」と思っていたけれど、相対的に頭の悪い振る舞いをするシステムを積んだ車に乗ってみると確かにこれはストレスを感じるし何より怖い。
支援システムに対してはふつう自分より優れた判断能力を期待して操作の介入を許すのであって、自分より判断・操作が劣ったシステムに「支援」してもらうことなどない、と感じるのもまた自然だろうと思うし、それが原因で怖い思いや迷惑をかけたり、ましてや事故を起こすかもと考えるとばかばかしい。
確かに半端なシステムを積んだ車に乗るくらいだったら、いわゆる旧車と呼ばれる「賢くない」車に乗るほうが安全とまではいえずとも、少なくとも精神的に緊張感を持てるし事を起こしてしまった時の納得感を得やすいという考え方も十分に合理的と思える。
とまあ、かなり下げてしまったけれども:
- ハイブリッド非搭載の1.3L NAでも発進が軽やかで街乗りで不都合ない
- 普通車としては小さいが、軽よりは大きいちょうどいいサイズ
- 純ICEで低いギアを使っても20km/Lは下らない低燃費
- そこそこ広い荷室
- レンタカーのベースグレードでも一通りの装備が揃っている
- ハイビームの自動切り替え
- 安全運転支援システム
……などなど、普段遣いの足として考えると良い車なのは間違いなさそうだった。
一方で、2ヶ月ぶりにMAZDA3に乗ると改めて良さに気付かされる。
一番は運転者をかなり信頼してくれている設計になっているということ。あくまで主体は運転者にあり、車 (システム) はあくまでその意図に応えるものであり、運転者に対して優越するものではない、というデザインがそこかしこに見られる。
支援システムの話もそうだし、他には細かいところではあるけれど、フロアMTモードに入れるとエンストするかレブにあたるまでは入れたギアのままにしてくれるのも良い。 操作権を委ねるということはマージンを切り詰めることにもなるけれど、それを承知であえて許してくれることに、なんというか誇らしいというかちゃんと相応しい運転者であろうという気持ちにさせられる。
もちろんロッキーみたいなデザインを良しとする向きもあるだろうし、実際ロッキーのキャラクターには合っていると思う。 より多くの人が選ぶ車で、車は単なる足だと思って乗る人も多いだろうから、フェイルセーフマージンが多めにとられるのは合理的といえる。
最近「人馬一体」について思うのは、単に運転者の操作に齟齬なく適時応えるのが人馬一体的なのかというとそうではなく、馬たる車がまさに生き物よろしく意思を持っており、人と馬 (車) が双方向にやりとりを経て同調できることにカタルシスや達成感があり、それこそが人馬一体なのではないか、ということ。 つまり人が白と言って白と言うことがすべてかというとそうではなく、 #ffeeffなのか#eeffffなのか……というやりとりを経て最終的に色相がここだったら良しとする、という合意点を見つける過程が楽しみにもなる。