偽物が本物に限りなく近づこうとするような話が好き。
ここでいう「偽物」は「元来からのそれではない」とかそういうニュアンスだけど、では「後天的にそれになったもの」と単に表現すれば過不足ないかというとそうでもなく、非常に難しい。
半恒久的な変化を既に遂げたわけではなく、不断の努力によってそうあり続けている・振る舞いを保っている、というニュアンスが近いか。
もっと言えば:
- 自身が「本物」ではない自覚がある
- 「本物」に至る道や手段があるが何らかの事情によりそれを選び難く、それについても葛藤を抱えている
- (しかし最終的にこの葛藤と共存することをよしとする)
……というディティールも好き。
ちなみにこのレトリックは自分で生んだわけではなく、おそらくFate/stay nightあたりで触れたものだと思う。
例を挙げると必然とフィクション作品のネタバレに繋がるのでおおっぴらに書きにくいけど、特に最近のホヨバースタイトルにはそういうエッセンスが多くて好き。
もっと辿れば『ピングドラム』もそうかもしれない。
「自分は一体何をなしてきたのか」「何をなせるのか」みたいなことで悩む時期でもいい加減ないよなと思うし、そういうことで悩んでも不毛だとも思うけど、一方でまったく悩まないというのも漫然と余生を過ごすだけになって致命的なことにならないかという不安もよぎる。
けっきょくこういう自己実現みたいな話は、1mmでも前に進むようなことをしないと話が始まらないところはある。
ではそこまでわかっていてなぜ前に進まないことがあるかといえば、大海原を見渡した時に既に錦を挙げた人々が目につき、その距離に思いを馳せた時の途方もなさにやられるからである。
目につく遠くの錦よりも、より刺激的なものを置いて目を背けさせれば気にならなくなる。その刺激物としてのストーリーでもあるかもしれない。
「それぞれが自身の人生の主人公だ」みたいな表現は、正直陳腐すぎるし美化しすぎて頷けない。せいぜい土地の所有者くらいだと思う。
立地や面積は同じではないし、維持するために代償だっている。誰しもが城を建てられるわけではない。しかも易々と手放すこともできない。
砂場遊びに終始するかもしれない。砂の城は石を積み上げて作られた城ではないけれど、それを作り上げることができたならまた別の趣がある。しかし砂の城は砂の城であって、石の城ではないということをきちんと知り奢ることも謙ることもなく鷹揚に生きる。
というありさまが好き。