この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

この連休は元同僚だったり十年来の友人その1・その2だったり、旧交を温めるとでもいうべき日々だった。

人との関係は定期的に連絡を取り合ったりしないと揮発してなくなってしまうものだという価値観で生きているので、1年半くらい前に辞めた元同僚とかはともかく、特に7年近く会っていなかった友人は、そもそも友人と呼んで良いものか悩むくらいだった。
自分が相手のことを親しい関係だと思えなくなるというより、自分が相手から親しい関係だともはやみなされていないとたやすく想像できてしまう。友人と呼ぶと「えっ」という顔をされそうで、実際にそうなると悲しいから「知人」だと思って接したほうがいいのではとか、ぐるぐる考える。
別に喧嘩したとかでもないから、関係を「回復」させようにもわかりやすいきっかけがないからなおさら悩む。

だったら日頃から連絡をとるなりすれば良いというのは、それはそうかもしれないけれど、時が下って今この時においてはまったく意味のない話なので、とにかく悩むしかなかった。

そもそも会わない? って連絡するのもぎりぎりまで悩んだし、連絡して返事がきてからも「きっと連休だしなんだかんだ都合が悪くて断わられるだろうから」と言い聞かせて確認する決心がつくまで2時間半くらい時間がかかったし、その間、メッセージのプレビューが映るスマフォの通知は見れなかった。

だから会おうよって返事だった時はすごく嬉しかったし、そしてこんなに遅くなってごめんって気持ちにもなった。まあ返事が遅くて失礼なのは都合が悪かった時も変わらないんだけど。

そして会ってからも、やっぱり楽しかったし肩肘を張らないで他愛もない話ができる時間は他では得られ難くて、7年分の余白を置いても時間はどれだけあっても満足することはないだろうと思う。
友人・知人の多くは仕事や広く同じ業界の繋りが多くて、向こうにそういうつもりがなくてもやっぱり将来の仕事相手や同僚になることを想像するとあまり心を砕ききれないところがある。
でも尾道で会った友達はまったく仕事とは関係ない単なるインターネットの友達なので心底リラックスして話ができた。

会ってからもう10年以上経つけれど、連絡をとっていなかった時間が7年くらいあるので10年来の友達というには時間の密度が少し薄い。
けれど往時はそれなりに親しくしていた。けれどもそんな友達がドライブが存外好きなことはあまり知らなかった。その頃の自分は車を持っていなかったし、車を持つ生活に興味を示していなかったから、きっかけがなかったくらいの話なんだろう。
だけど、とにかく、10年以上経ってまだ知らないことがあったんだ、と嬉しくなり、少し恥ずかしいような気持ちにもなった。

7年も没交渉だったのにまた会って話してくれて嬉しかったし、7年間のこと・これからのこととかを話せてやっと同期がとれたことも嬉しい。
まだ少しだけ「これまで通り」といっていいのか怖い。何に怯えているのか? 急に変な距離感になって厄介なやつ扱いされて遠ざけられること、かもしれない。

でも元に戻す必要もなくて、再開してまた別の関係を構築したら良いのかもしれない。
今後のために、あえて言わなかったことやまだ話せていないことがまだまだある。

友達にありがとうと、ちゃんと勇気を出して声をかけた自分に賞賛を送る。