よくコロナ禍以降の気軽に外出できない、他人と接触できないという状況を指して「日常が失われた」「もうあの日常は戻らない」といった表現がされることがしばしばある。孤独が強化されたとも。婚姻や出産件数の変化が絡めて語られることも多い。
人それぞれにとって常が何であるかは違うであろうことは前提として、それでも自分は社会生活の本質が変わったわけではなくむしろ表層が取り払われたような気がしている。
本来、他人とのあいだになんらかの壁がありあらゆる活動において距離があるのが自然で、隔てるものが限りなく小さい関係こそが特別であり親密さの証だとされてきた。
むしろ今までその親密さの価値が損われども検められることがなさすぎた。少しばかりの繋がりで安心してしまう。
その薄く広く覆う膜のような関係性で孤独に蓋をしていた人たちにとっては、今の状況は確かに地盤を失ったようなものかもしれない。けれども、この感染症を過去のものとできたとしても日々の底にある孤独を克服したことにはなりえない。
久しぶりに会う知己を前にして、以前は盛り上がれた話題で同じように話せるだろうか、自分の考えが過不足なく伝える語彙を自分は持っているだろうか、変わってしまった・あるいは変わっていないお互いを前にして無意識の内に失望してしまわないだろうか、好きだった誰かを前にして冷めた気持ちに気付いてしまわないだろうか、とかそういった葛藤はきっと10年後も変わらずつきまとう。
何も磐石なものがない中で暮らすことに恐しさと嫌気を抱くことは変わらないんだろう。