岐阜・金沢旅行 #1 京都〜高山 - 『言葉を吐く』, 岐阜・金沢旅行 #2 高山〜金沢 - 『言葉を吐く』 のつづき。
金沢
8時くらいには起きていた。目的が起きればこれくらいの時間に苦なく起きられる。
ホテルの近くに犀川大橋があってまずはそこに行くことにしていた。
たしか片町のほうからここを渡りフミカと会話して写真を撮られた場所だったはず。
立派なトラス橋だけど、橋名を囲む金の装飾が安っぽい中国風で間抜け。
折り返して片町に戻りバスで兼六園へ向かうことにした。兼六園近くの茶店街で金沢城を眺めながら朝食が食べられる店があるそうなのでそこで朝を食べようと思った。
兼六園下のバス停で降りて、あれだったのかなと軒のあるバス停を横目に兼六園へ歩く。目的の店にやってきたけれど、電気はついていなくてやっている雰囲気がなかったので少し迷ったけど諦めて兼六園を見ることにした。
せっかく早く起きたし混みそうな兼六園を見ておくに越したことはない。
朝9時すぎだけれども、既に観光客はまあまあいた。殊勝なことだと思う。
重くコントラストに欠ける空と強く吹き付ける風がなかったとしてお世辞にも兼六園は特急で京都から1時間以上かけてやってくる価値があるとはっきり答えないだろう。秋と冬のあいだ、実に地味な色彩はおもしろみに欠ける。日焼けした写真で紹介されていた雪景色の松は見てみたいと思った。
1時間半ほど歩きまわっていよいよおなかが減ってきたので兼六園の近くで再び店を探してやってきたが、ここも電気はついているけれど営業中の看板を掲げておらず入れなかった。これがいわゆる「一見さんお断り」なのだろうか。
諦めて繁華街のほうに戻ることにする。寒いしバスを使おうか考えたけれど、次のバスまで時間があったし20分くらいなので歩くことにした。
小京都ともいわれる金沢だけど、京都と違う魅力をあげるなら起伏に富んだ地形だと思う。京都の市街地はごく緩やかに北高南低であるもののほとんど平地といっていいくらい。条例で高い建物の建設が制限されている地域が多いので視覚的にも起伏がない。
金沢は高台の上に金沢城があったり、ゆるやかな坂が現れるなど街に抑揚がある。それも東京みたいに勾配がきつすぎないので歩いていてあまり疲れない。
金沢城のまわりを歩きながら香林坊を目指す。途中に緑地があってお祭りのようなことをやっていた。展示仕様になっている外車がいくつか並んでいてどういう催しなのか気になった。
すぐ近くには並木道があって、色付きはじめていた。まだ10月末なのに。いや金沢は北国で、もうこれくらい色付いていてもおかしくないんだろうか。いつになっても四季感覚が身に付かない。
香林坊に着いて路地に入った店で天ぷらうどんを食べた。小綺麗だけどがらんとしていて寂しい雰囲気だった。もはや曜日感覚も薄れつつあるけど、土曜日の昼。人がいてもおかしくはないと思うけど。
おなかがすいていたので温玉ごはんもつけた。少し多かった。
香林坊からほど近い竪町を歩く。京都でいう寺町だろうか、セレクトショップなどが並び服を選ぶのに困らなさそう。サキが関わったというネイティブアメリカンアクセサリの店が並ぶのもこの竪町の路地のどこかだろう。
ふと気付けば雲が割れ日が差してきていた。金沢にも太陽はあったなあなんて思うくらい日の目を見ることを期待も想像すらもしていなかったので思いがけず嬉しくてはしゃいだ気分になったのでレンタサイクルを借りた。
クレジットカードを登録していくつかあるポートと呼ばれる駐輪スペースから借りて好きなポートで乗り捨てることができてたいへんに便利な仕組みだった。
普段乗っているクロスバイクよりタイヤ径はずっと小さく車体も重くブレーキは強く握らないと効かなかった。しかし太いタイヤは縁石を越えるときの安心感は大きい。
竪町から東へ杜の里を目指して走る。Google Maps で経路を検索して見つけたルートを深く考えずに走り出したらかなりきつい坂に出喰わして、軽く汗をかいた。ギアを軽くしてもたかが知れているし、自転車もそれに乗る自分もカメラなどを背負って身重だったし、だいぶ疲れた。
少し路地に入って寺や聾学校を横目に走ってしばらくすると浅野川を見下ろす下り坂に出た。さっき差していたはずの日は夢だったかのように雲に隠れ、見下ろすのは吹き荒ぶ冷たい風と暗く色彩の翳った街並みだけ。そういう心が荒むような光景を前に静かに高揚していた。
リョウがお笑い芸人を見にいったイオンが目に入った。やっと自分が物語から伝聞されていた金沢を見つけられた。
浅野川大橋から河川敷を走って河畔公園を目指す。道の両側からは雑草が迫り出してきている。あまり手入れされている様子はない。
そして見つけたあのベンチ。東尋坊から飛ばされてきて目を覚ましたり、縁の深い河畔公園のベンチ。しかしベンチというにはあまりに心許ないさまが笑えてきた。
ベンチのまわりで写真を撮ってから、しばらくベンチに座って向かいのイオンを眺めた。それから再び自転車に乗る。河川敷沿いに金沢駅のほうへ向かうことにする。
途中、咳こみながら泣きはじめた子どもを見かけたような気がする。途中、小雨が降り出す。笑えてくる。やっぱりさっき竪町で見た日の光は夢だった。
材木町のあたりで山門の傍にイチョウがそびえる寺に出会した。作中のイチョウはこんな雰囲気だったのだろうか。
道すがらもうひとつ橋を見た。しばらく走ると梅の橋という橋があった。
どこかで見たことあるような気がして写真を撮るうちに気がついた。photo.yodobashi.com だった。たぶん FUJIFILM の作例だったと思う。
写真を撮っているうちにオレンジの光が駅のほうに見てとれた。慌てて時間を確認するも13時。11月の13時でこんな夕方のような光になってしまうのなら、真冬はどうなってしまうんだろう。
だいぶ疲れてきたので駅を目指す。歩道が狭く車道には観光バスが往来しなかなかスリリングなサイクリングを楽しみ自転車を返した。金沢駅近くのポートは看板もなく見つけずらくてしばらく歩きまわってしまった。
改めて金沢駅のドームのような骨組を見上げる。昨日、富山からやって来たときはまともに見上げなかったので去り際になって初めて「歓迎」の垂れ幕を目にすることになった。
金沢〜芦原温泉
駅中のタリーズコーヒーでチャイを買ってJRの鈍行に乗る。Kindle でサキとリョウがノゾミについて問答をすすめるシーンを読みながら、次々に停まる駅名をなぞる。
あわら温泉駅について駅を出ると募金を募る人たちを除いて土曜日の夕方にも関わらずまったく人気がなかった。東尋坊へ向かうバスはたったいま出たところで次は1時間後。
1時間ものあいだ募金をお願いしますと声をあげつづける人たちと同じ空間にいるのはちょっとためらわれた。たとえ募金したとしても。
40分くらい歩くとえちぜん鉄道の駅につきそうで、そこから三国港まで行けるらしいから、そこまで歩くことにした。
海が近いからか風は金沢より勢いを増し、駅前の寂れきった雰囲気とあわせて荒みきっている。
歩きはじめてから15分経っても歩いている人と出会わずいよいよもってやばいところに来てしまったなと興奮してきた。
『ボトルネック』の作中で東尋坊がどういう場所だったか思い返してみれば不思議と頷けるような、そんな気持ちだった。
金沢であてが外れたときも、この芦原を歩いているときもそう、ぜんぜん楽しい気分じゃないけど不思議と高揚してもっとやれという気持ちが高まった。こんな目にあうのはここだけで十分だという気持ちと、わざわざ辿ってきた今だからこそこんな目にあうのだという気持ち。
ひとつ大きな通りをすぎると道程は半分を過ぎた。閑散とした住宅地は終わり田園地帯が始まった。
地元にもこれくらい広くて大きな田畑はあったけど、それよりずっと大きく寂しい印象だった。空が遠く感じる。盆地の地元は山が常に見えていたけどここでは見えない。
一泊二日の道程を締め括るにあたって殊勝なことに雲のあいだから光がさしはじめた夕景を眺めながら西へと歩きつづけた。
あまりの寒さに途中、何度も引き返そうかと思ったけれど、引き返そうにもタクシーもバスもつかまらないのでどのみち至近のえちぜん鉄道の駅へ向かうしかなかった。
どんどん暮れていく空と同じように気持ちも暮れながらついに駅についた。無人の駅舎。
バスの時刻表は散々だったが、えちぜん鉄道は22時くらいまで福井方向にも三国港方向にもほぼ30分間隔で走っていて安心感がある。
20分ほど待って電車がきたけど、駅構内踏切が降りて乗り損ねてしまった。寒いのでぎりぎりまで駅舎にいるつもりが、電車接近のランプを見落としていた。
次に三国港へ向かう電車は30分後とあってすっかり気が抜けてしまった。もう30分待ってさらにそこから移動して東尋坊へ向かう気力は残っておらず、10分後の福井行きに乗って帰ることにした。
残念といえば残念だけど、順調に物語に縁のある地を尋ねてきて本当に東尋坊まで行けてしまったら、なにもかも完結して終わったことになってしまいそうだし、これでいいかなと思う。また来るよ。
帰り、車窓から燃えるような夕焼けを見てほんとうにいい一泊二日だったなとしみじみ思った。