この記事は筆者が見た夢を一人称視点で叙述した内容です。事実ではなく、実際の人物等とは一切関係ありません。

YAPC::Asia 2013 にスピーカーとして参加してきた。

慶應の日吉キャンパスのきれいさに驚いたりなどしつつ、聞きたかったトークはだいたい聞けて、話してみたい人とだいたい話せて、もちろんトークも自分である程度納得のいくクオリティでできたと思うし、いろいろ反省点はあれども楽しかった。


今年の春先にチームが変わってだいぶ苦しんだ。いままでの速さや質で仕事ができなくなって、プロのソフトウェア・エンジニアとして働きはじめて半年ほど経っていて、いくらか自信や実力が身に付いていたと感じていたけれど実際にはそうではなくて自分はまったくの無能なんだ、と打ちのめされたことも懐しい。

とても巨大で複雑で規模も大きく、にも関わらず改善されていくべきだと感じるところは長いところ手つかずのように見えた。

はっきり言って理不尽だと思った。

理不尽だと思ったけれど、そういう決定をした会社を恨んだって仕方がないので、自分がもし今の仕事をつまらないとかくだらないとか考えるのであれば、自分がつまらなかったりくだらない人間であるからなのだ、と考えることにした。あるいは、会社という組織が常に自分にとっての道理にかなった意思決定が行われるものではない、ということを自分に言い聞かせることにした。

つまり、自分のモチベーションの維持は完全に自立して行わなければいけない、ということを身をもって実感し、実際にそれをなそう、と決意した。

自分のモチベーションとなるようなタスクがやってくることを望むのではなく、自分のモチベーションを削ぐような要素をとにかく取り除いていかなければならない、と思った。

だから、だいぶ古びて硬直しつつある開発環境の改善をとにかく行ってきた。もちろん、ビジネス上、まっとうな理由があることも示したうえでのことだけれども。


その頃からこれは外の目に晒されなければいけないとも感じていた。昨年は YAPC には参加しなかったし、よいトピックだと思ったのでぜひトークで紹介したいと思った。

実際、それが叶ったわけだけれども。


トークの内容はソフトウェアの実践的な使い方を主として扱わず、なぜそれらのソフトウェアを使うべきなのか、どんな問題を解決すべきなのか、どのように解決すべきなのか、ということを話したいと考えていた。

だから、このトークのトピックは「ソフトウェアで解決できることを人間が頑張らないようにする」というものだった。


偶然にも長い歴史のあるソフトウェアを改善するトークがいくつかあって、どれも勇気付けられる内容だった。

自分はソフトウェア・エンジニアなのでソフトウェアをつくることで価値をつくりだし、それによって認められ評価されたいと思っている。

多くの人に使っていただいているソフトウェアをつくることに誇りを感じている。ソフトウェアの価値、評価、業、それらすべてを受け止めるのはその時々に責任をもってつくり続けている人たちであり、つまりいまそれらを受け止めているのは自分たちであり、自分たち以外の何者でもない。

たしかにソフトウェアのコードは過去、幾人ものエンジニアが作り上げたものではあるけれど、それは過去の話だと思う。ソフトウェアの業を受け止めないかわりに、それ以上功績を評価されることもない。少なくとも自分は、過去の、ある時点での誰かの功績を認めても、それを時系列で繋がった現在のその人を認めるということに繋がるとは思ってはいない

ソフトウェアの業を抱えることに異存はないけれども、功績よりも業が多く積み上がっていくソフトウェアに対して責任を負うことなんてなにひとつ楽しいことなんてない。

ソフトウェア・エンジニアとしての自分にかけて、提供して恥ずかしくないソフトウェアをつくりつづけなければいけないし、それを行うためにあらゆることをやろう、と気持ちを改めた。